北本市史 資料編 古代・中世

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第3章 城館跡・金石資料・仏像

第1節 城館跡

3 榎戸館跡

               (大字下石戸下蔵引)
この館跡の所在地は、旧地名でいえば大字下石戸下字蔵引である。公団北本団地の東側にあり、この付近は通称「榎戸(えのきど)」と呼ばれているので、榎戸館跡と仮称している。
この遺跡の認識については、昭和四十五年、吉川國男氏が遺跡の所在分布踏査中、山林中に堀跡と土塁跡とみられる遺構を発見したのにはじまる。

図9 榎戸館跡位置図

江川の支谷に張り出した台地端の山林中に、「コ」の字形に溝が発見されたのである。その直後、平板測量によって実測されたものが図9である。この溝の幅は約三メートル、深さ五〇センチで、相当に埋まっている感じである。溝の一辺は五五~六〇メートルである。南側の溝は明らかではないが、北側は高くなっており、幅広い土塁のような形をしている。土塁が崩れたようにも見える。西側にも鍵の手に溝がめぐっているが、これは畑境の根除(よけ)堀かもしれない。
地表は、全体として西南に向かってゆるやかに傾斜しているが、西辺側は平坦である。標高は一九~二一メートルである。
コの字形にめぐっている溝は、おそらく空堀跡と思われ、中世の館跡または屋敷跡に伴う遺構と推定される。
中世の館の規模は、一~二町歩(約一~二ヘクタール)あるのが通例であるので、この遺跡がやや小規模であるのが気にかかる。今後の精査がまたれる。
当所は、江川の三本の枝谷が集まってくる要所にあるとともに、加納~二ッ家~榎戸〜石戸宿〜松山の交通路の通過点にもあたり、立地上はそれなりの条件を有している。付近には館・城に由来する地名はない。

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