北本市史 資料編 近世

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第1章 領主と村

第1節 村の政治

7 貯穀と救恤

40 天保八年(一八三七)三月 下石戸上村困窮人融通方帳
  (下石戸上 吉田眞士家文書四四四)
(表紙)

     天保八丁酉年
  村 方 困 窮 人 融 通 方 帳
     三月十三日
                    」
     出金方
一、金壱両      組頭 竹 次 郎
                五十歳
一、同弐分      同  七郎右衛門
              戌五十五歳
一、同弐分      同  作右衛門
              六十七歳
一、同壱両      九丁百姓 万 吉
              戌四十八歳
一、同壱両      北原同 惣左衛門
                八十歳
一、同壱両      花見堂同 吉五郎
               六十七歳
一、同三分      南 同 庄  八
               三十八歳
一、同弐分弐朱    北原同 重 五 郎
               五十六歳
一、同弐分      同 同 善  八
               六十八歳
一、同弐分      原 同 久  七
               五十六歳
一、同壱分      南   惣 次 郎
               六十歳
一、金壱分      原   吉 五 郎
               廿六歳
 〆七両三分弐朱
此借用方男女老少ニ不拘壱人ニ付金弐朱ツゝ
一、金弐朱    北原  仙 次 郎
一、同弐朱    同 久七後家 ま さ
一、同弐分    同 儀右衛門後家いく
一、同弐朱    同 太郎兵衛後家ほの
一、同壱分弐朱  大蔵庵 せ   き
一、同壱分    同   留 五 郎
一、壱分弐朱   南   庄 次 郎
一、壱分弐朱   同   文   七
一、弐分     万次郎後家 つ る
一、壱分弐朱   西   惣 次 郎
一、三分     坂口幸助後家と め
一、弐朱     後   清   蔵
一、壱分     合林  留 五 郎
一、壱分     原   な   み
一、弐分弐朱   いけ  志   も
一、弐分     原   馬 次 郎
一、弐分     同   代   吉
一、弐朱     同  人母
一、弐朱     原   弥右衛門
一、壱分弐朱   豊次郎後家 ま す
一、壱分弐朱   後   吉 五 郎
 〆七両三分弐朱
   廿二軒
   六十三人
解説 天保七・八年は、いわゆる天保の大飢饉がおこり、八年二月には大塩平八郎の乱が勃発し、全国的に、諸物価は髙騰し、困窮人が増加して人心は動揺した。
資料37の『夫食拝借人調帳』によれば拝借人は家数で四四軒である。このころ当村の軒数は八〇軒強であるから、半数をこえる農民が借財に頼らねばならぬ困窮状態であったことを知ることができる。
資料38『夫食拝借割渡帳』には貸金と施金が記されている。資料39は名主の徳太郎が施金した記録である。
資料40の『村方困窮人融通方帳』をみると、困窮の度合いを吟味して実際に貸与した者は、二二軒六三人で総額七両三分二朱である。この金は村内の竹次郎以下裕福な百姓一〇人が出金した。

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