北本市史 資料編 近世
第2章 村の生活
第1節 土地と農民
1 検地帳と名寄帳
77 寛永八年(一六三一)七月 本宿村畑方検地帳写(本宿 岡野正家文書八)
(表紙)
「
寛永八年未七月五日
安内者 弥右衛門
兵 庫
武州足立郡鴻巣之内本宿村御検地帳
三状之内
」
やしき添
拾七間 上畑四畝廿四歩 内蔵之助
八間半
天神前
五間 上畑弐畝拾五歩 与 蔵
拾五間
同
八間 上畑壱畝拾歩 勘 解 由
五間
同
弐拾五間 上畑壱反八畝拾歩 須右衛門
弐拾弐間
同
八間半 上畑壱畝廿九歩 勘 解 由
七間
同
弐拾三間 上畑六畝四歩 茂左衛門
八間
天神ワキ
拾弐間半 上畑四畝拾七歩 久 三 郎
拾壱間
同
拾六間半 上畑三畝九歩 仁右衛門
六間
同
拾弐間半 上畑八畝三歩 勘 解 由
拾九間
同
九間 上畑三畝拾三歩 久 三 郎
拾壱間半
天神ワキ
三間半 上畑壱畝壱歩 十左衛門
九間
同
拾弐間 上畑五畝拾歩 茂左衛門
八間
同
拾間半 上畑六畝九歩 三 太 郎
拾八間
天神後
拾三間 上畑四畝廿三歩 久 三 郎
拾壱間
同
拾四間 上畑三畝廿九歩 三 太 郎
八間半
同
拾三間 上畑五畝六歩 内蔵之助
拾弐間
同
拾九間 上畑七畝拾八歩 茂左衛門
拾弐間
資料77 本宿村畑方検地帳
(本宿 岡野家文書)
同
拾七間半 上畑七畝歩 新 二 郎
拾弐間
同
弐拾壱間 上畑壱反拾五歩 茂左衛門
拾五間
同
九間 上畑六畝歩 同 人
弐拾間
天神後
八間半 上畑五畝拾壱歩 半右衛門
拾九間
同
拾間 上畑五畝拾歩 彦右衛門
拾六間
同
拾間 上畑八畝拾五歩 長右衛門
弐拾五間半
同
弐拾間半 上畑壱反廿八歩 弥右衛門
十六間
同
拾間 中畑七畝廿歩 長右衛門
二十三間
同
八間 中畑壱畝弐歩 惣佐衛門
四間
同
拾六間 中畑八畝歩 久 三 郎
十五間
同
弐拾壱間半 下畑四畝拾九歩 七右衛門
六間半
同
拾八間 中畑弍反壱畝拾八歩 弥右衛門
三十六間
同
拾六間半 中畑八畝七歩 茂右衛門
十五間
天神後
弐拾五間 中畑壱畝廿歩 弥右衛門
十四間
同
拾壱間 中畑四畝壱歩 平右衛門
十壱間
同
拾六間半 中畑九畝廿七歩 茂右衛門
十八間
同
拾間 下畑弐畝拾歩 久 三 郎
七間
同
弐拾五間 中畑七畝拾五歩 弥右衛門
九間
同
七問 中畑三畝廿弐歩 源右衛門
十六間
同
弐拾三間 下畑壱反四畝拾七歩 弥右衛門
十九間
同
拾九間 中畑九畝拾五歩 茂左衛門
十五間
同
拾間 下畑五畝拾歩 半右衛門
十六間
同
拾間 下畑壱畝歩 多 聞 寺
三間
天神後
九間 下畑三畝歩 三 太 郎
十間
同
九間 下畑弐畝廿五歩 源右衛門
九間半
同
拾七間 下畑五畝廿歩 半右衛門
十間
同
弐拾弐間 下畑八畝廿四歩 彦右衛門
十弐間
同
弐拾間 下畑九畝拾歩 長左衛門
十四間
同
弐拾八間 下畑壱反弐畝四歩 内蔵之助
十三間
同
八間半 下畑三畝三歩 長左衛門
十壱間
同
九間 下畑五畝三歩 十左衛門
十七間
同
九間 下畑四畝拾五歩 次右衛門
十五間
同
拾七間 下畑三畝廿九歩 同 人
七間
宮内道
拾五間 下畑六畝拾五歩 次右衛門
十三間
同
拾三間 中畑壱反三畝廿八歩 三 太 郎
三十壱間
同
拾間 下畑弐畝五歩 弥右衛門
六間半
同
弐十壱間 下畑八畝拾弐歩 久 三 郎
十弐間
同
拾弐間 下畑四畝歩 長右衛門
拾間
同
拾六問 下畑四畝八歩 惣左衛門
八間
同 弥右衛門分
九間半 上畑四畝拾三歩 庄 三 郎
十四間
同
十四間 上畑七畝廿八歩 同 人
十七間
同 弥右衛門分
拾四間 上畑四畝廿七歩 庄 三 郎
十間半
同
拾弐間 中畑弐畝弐拾歩 茂左衛門
六間
宮内後
拾六間半 上畑壱反五畝歩 次右衛門
拾八間
同
拾間半 下畑壱反三畝九歩 弥右衛門
三十八間
同
弐拾壱間 上畑壱反廿五歩 惣左衛門
十五間半
同
九間 上畑弐畝廿壱歩 同 人
九間
同
八間 下畑三畝拾四歩 同 人
十三間
同
拾間半 上畑六畝拾九歩 彦左衛門
十九間
同
拾九間 上畑八畝拾六歩 佐左衛門
十三間半
同
拾六間半 上畑五畝六歩 同 人
九間半
ひかし
拾間 下畑四畝拾歩 十左衛門
十三問
同
拾三間 下畑弐畝廿四歩 弥右衛門
六間半
ひかし
弐拾六間 下畑壱反八歩 茂左衛門
十間 四十八歩入
同
拾間 下畑四畝拾歩 久 三 郎
十三間
同
弐拾三間 下畑七畝廿歩 三 太 郎
十間
同
拾間 下畔五畝壱歩 同 人
十三間 弐十一歩入
同
拾八間 下畑壱反廿四歩 十左衛門
拾八間
同
弐拾八間 下畑五畝拾八歩 同 人
六間
同
拾弐間 下畑六畝廿四歩 仁右衛門
十七間
同
拾四間 下畑五畝拾八歩 長右衛門
十弐間
同
拾三間半 下畑八畝弍拾弐歩 同 人
十九間半
同
弐拾壱間 下畑壱反壱畝六歩 源右衛門
十六間
同
拾間 下畑七畝拾歩 善左衛門
弐十弐間
同
拾壱間半 下畑九畝六歩 平右衛門
弐十四間
同
拾弐間半 下畑五畝廿五歩 兵 庫
拾四間
同
弐拾問 下畑四畝歩 源右衛門
六間
同
拾八間 下畑九畝歩 新田 兵 庫
十五間
同
弐拾弐間 下畑八畝廿四歩 市右衛門
十弐間
同
拾六間 下畑六畝拾弐歩 佐左衛門
十弐間
同
拾七間 下畑八畝六歩 同 人
十四間半
同
五間 下畑廿五歩 源右衛門
五間
同
七間 下畑壱畝廿六歩 六右衛門
八間
同
七間 下畑弐畝廿四歩 佐左衛門
拾弐間
同
拾八間 下畑七畝廿四歩 市右衛門
十三間
同
拾弐間 下畑四畝廿四歩 新田 同 人
十弐間
同
拾間 下畑三畝歩 十左衛門
九間
同
弐拾壱間 下畑壱反五畝拾弐歩 兵 庫
弐十弐間
同
七間半 下畔五畝歩 新田 彦右衛門
弐拾間
同
七間 下畑四畝廿歩 同 七右衛門
弐十間
八間半 下畑七畝廿八歩 新田分本田に入 久三郎
弐拾八間
拾四間 下畑三畝廿九歩 新田分本田に入 与蔵
八間半
弐拾八間 下畑弐反四畝八歩 同 加右衛門
弐拾六間
東
拾四間 下畑壱畝拾九歩 新田 弥右衛門
三間半
同
拾三間 下畑五畝六歩 同 善左衛門
十弐間
同
九間 下畑九畝歩 同 仁右衛門
三十間
同
四間半 下畑壱畝廿八歩 同 孫右衛門
十三間
同
拾四間 下畑壱畝廿六歩 同 次右衛門
四間
同
十三間 下畑壱反弐畝廿三歩 新田 勘解由
二十九間半
同
十九間 下畑壱反弐畝廿歩 同 藤右衛門
弐拾間
同
十壱間 下畑杳畝廿五歩 同 長左衛門
五間
同
拾九間 下畑弐反七畝歩 同 善右衛門
卅三間
同
六間 下畑弐畝六歩 同 惣左衛門
十壱間
東
五間半 下畑弐畝歩 同 半左衛門
十壱間
同
拾壱間 下畑壱畝廿五歩 同 三 太 郎
五間
同
弐拾壱間 下畑八畝拾弐歩 同 藤左衛門
十二間
同
十四間 下畑三畝廿弐歩 同 市左衛門
八間
同
十三間 下畑三畝廿七歩 同 久左衛門
九間
同
拾七間半 下畑三畝拾五歩 新田 長二郎
六間
同
六間半 下畑三畝廿歩 同 彦左衛門
十七間
同
八間 下畑弐畝廿八歩 作右衛門
十壱間
同
拾三間 下畑壱畝九歩 庄左衛門
三間
同
弐十間 下畑七畝拾歩 六右衛門
十壱間
ひがし
拾四間 下畑弐畝廿四歩 新田 長右衛門
六間
同
弐拾壱間 下畑八畝拾弐歩 久左衛門
十弐間
同
拾九間 下畑五畝廿豈歩 六右衛門
九間
同
拾四間 下畑八畝拾九歩 藤右衛門
拾八間半
同
拾弐間 下畑五畝拾八歩 六右衛門
拾四間
ひがし
拾弐間 下畑壱畝拾八歩 藤右衛門
四間
同
六間 下畑三畝歩 同 人
十五間
同
八間 下畑壱畝廿六歩 平右衛門
七間
同
弍拾六間 下畑八畝廿歩 同 人
十間
同
九間 下畑四畝六歩 仁右衛門
拾四間
同
十六間 下畑四畝廿四歩 六右衛門
九間
同
弐拾九間 下畑八畝六歩 長 二 郎
八間半
同
十九間 下畑四畝十三歩 久左衛門
七間
同
十二間 下畑四畝廿四歩 半右衛門
十二間
同
十五間 下畑五畝歩 十左衛門
十間
同
十間 下畑四畝拾歩 同 人
十三間
同
拾間半 下畑三畝廿歩 平右衛門
十間半
同
九間半 下畑四畝三歩 市右衛門
十三間
同
十三間 下畑五畝拾弐歩 久右衛門
十弐間半
同
弐十五間 下畑壱反四畝五歩 作右衛門
十六間 弐十五歩入
同
七間 下畑壱畝拾弐歩 市右衛門
六間
同
弐十壱間半 中畑四畝九歩 久左衛門
六間
とくのかと
弐十間 上畑七畝十歩 三 太 郎
十弐間
同
十八間 上畑七畝六歩 六右衛門
十二間
同
三十二間 上畑壱反四畝拾弐歩 兵 庫
十三間半
同
拾四間半 下畑三畝拾歩 内蔵之助
六間半
同
弐十三間 上畑五畝拾一歩 所左衛門
七間
同
十六間 中畑六畝廿八歩 理左衛門
十三間
同
七間半 上畑三畝七歩 彦右衛門
十三間
同
三十五間 上畑壱反三畝拾弐歩 弥右衛門
十壱間半
とくのかと
八間 上畑三畝拾八歩 半右衛門
十三間
同
拾壱間 中畑六畝拾八歩 彦左衛門
十八間
同
拾間半 下畑五畝拾八歩 彦右衛門
拾六間
同
四間半 下畑弐畝拾弐歩 所左衛門
十六間
同
十八間 上畑六畝歩 半右衛門
十間
同
拾九間 下畑八畝七歩 善右衛門
十三間
同
拾八間 下畑四畝廿四歩 七右衛門
八間
同
十八間 下畑四畝十六歩 所左衛門
十三間
同
十二間 中畑四畝歩 長 二 郎
十間
同
三十間 中畑六畝歩 仁右衛門
六間
同
拾弍間 中畑三畝拾八歩 彦右衛門
九間
同
拾三間半 中畑九畝廿七歩 長左衛門
二十二間
同
拾弐間 中畑三畝歩 藤左衛門
七間半
同
拾四間半 中畑弐反弐畝七歩 辰 二 郎
四十六間
同
七間半 下畑壱反壱畝拾五歩 同 人
四十六間
弐拾三間 下畑六畝廿七歩 新田 与左衛門
九間
弐十三間 下畑三畝廿五歩 所左衛門
五間
拾七間半 下畑六畝拾弐歩 善右衛門
十壱間
二十間 下畑壱反十歩 新田 善右衛門
十五間半
二十壱間 下畑四畝六歩 長 二 郎
六間
五間半 下畑弐畝廿二歩 善右衛門
十五間
拾四間 下畑八畝廿六歩 彦左衛門
拾九間
八間 下畑弐畝四歩 新田 所左衛門
八間
八間 下畑四畝十六歩 新田 善左衛門
十七間
四間半 上畑五畝七歩 庄左衛門
三十五間
同
拾六間 下畑九畝弐歩 隼 人
拾七間
同
弐拾弐間 下畑三反弍歩 新田 加左衛門
四十壱間
同
拾八間 下畑壱反九畝六歩 新田 十右衛門
三十弐間
同
拾九間半 下畑壱反八畝六歩 新田 佐左衛門
弐十八間
同
拾六間半 下畑九畝廿七歩 新田 十左衛門
十八間
同
拾五間半 下畑壱反壱歩 同 十右衛門
十九間半
同
拾壱間 下畑九畝五歩 同 佐左衛門
二十五間
同
十間 下畑五畝二歩 同 弥右衛門
十二間
同
弐拾四間 下畑壱反四畝拾弐歩 同 同人
十八間
同
三十六間 下畑弐反弐畝廿四歩 同 加右衛門
十九間
同
拾三間 下畑五畝六歩 新田 加右衛門
十二間
同
二十四間 下畑八畝歩 同 与左衛門
十間
同
拾九間 下畑三反四畝六歩 同 惣佐衛門
五十四間
上畑弐町六反九畝拾弐歩
中畑壱町七反五畝廿四歩
下畑八町五反七畝廿歩
此内三町弐反九畝拾六歩 新田
畑合拾三町弐畝廿六歩
田八兵衛 印
墨付弐拾枚 平岩勘右衛門印
井出伝右衛門印
鈴木忠右衛門
解説 『新編武蔵風土記稿』の本宿村の条には、「本宿村は古へ宿駅なりしが、慶長年中今の鴻巣へ移せしよし、正保の国図には本鴻巣村と記し、元禄の図には本宿村とあり(中略)検地は寛永八年・寛文八年の二度に糺せり」とある。
この検地帳は寛永八年(一六三一)のものを、文政十年(ー八二七)に組頭新右衛門が退役に際し写し取っておいたものである。畑二冊(資料76・77)・新田一冊(資料75)・屋敷一冊(資料74)から成り、皆畑で総面積は畑一九町五反三畝一五歩(三〇一筆)、新田二町二畝一一歩(六七筆)、屋敷一町九畝二五歩(四〇筆)である。この屋敷持の百姓四〇名の中で最も広い屋敷地に住んでいたのは、検地の案内役を勤めた弥右衛門で六畝歩、最も狭いのは源右衛門で一畝一二歩、平均すると二畝強という広さであった。一般に屋敷地の石盛は上畑に準じて一〇とされていたが、本村の場合の詳細は不明である。なお、検地役人四名は、代官伊奈半十郎の手代であろう。