北本市史 資料編 近世
第2章 村の生活
第3節 産業と金融
5 材木商・職人
124 文政八年(一八二五)二月 高尾村千蔵より木挽手間賃高値支払につき指物仲間惣代へ詫状(鴻巣市 藤井真家文書)
入置申一札の事
今般木挽職の者手間直上ケの由、指物元〆方江掛合ニ付木挽方御糺被成候処、私義高直ニ為挽候より事起候由、木挽方より貴殿方江挨拶有之候ニ付、一同会合の上指物手間木挽手間並方より高直ニ可払由木挽江申処、其上桐高直ニ仕入候段御糺ニ預り一言の申訳無之心得違ニ付御詫申上候処御聞届ケ被下置存候、然ル上は已来時の相場より桐木高買ハ不及申ニ、諸職人手間並方より高直ニ払候義ハ決て仕間敷候、万一右体の心得違仕候ハゝ、此書付ヲ以何様御取斗被成候共一言の義申間敷候、為後日詫証文入置申候処仍て如件
高尾村 当人
文政八酉年二月 千 蔵 ㊞
同村 扱人
儀右衛門 ㊞
同村 詫人
七 兵 衛 ㊞
指物仲間惣代
高尾村
勇 吉 殿
馬室村
惣 太 郎 殿
下石戸村
幸 八 殿
解説 市域高尾村は古くから桐材を用いたタンスの生産が盛んであった。現在もわずかに生産が続けられているが、かつての盛況を立証する資料はほとんどなく、この資料は貴重である。
すなわち、高尾村の千蔵は急ぎの注文でもあったのだろうか、桐材を板にする木挽職人に普通より高値の手間賃を出したり、桐材の購入も高値に買入れた。タンスを作る職人は指物師と呼ばれたが、仲間から糾弾され、指物仲間の総代に詫状を差出した。総代名をみると高尾村・下石戸村や隣接の馬室村(現鴻巣市)にまたがり、この周辺一帯でタンスなどを作る指物職人がいたことがわかる。