北本市史 資料編 近世
第3章 街道と河岸
第1節 街道
4 鴻巣宿助郷
189 慶応元年(一八六五)十二月 荒井村御伝馬請負証文(荒井 矢部洋蔵家文書七五)
資料189 荒井村御伝馬請負証文
(荒井 矢部洋蔵家文書)
鴻巣宿定助郷
御伝馬勤高
一高百六拾五石 荒井村
但、高百石ニ付金四拾五両直段
此雇替金七拾四両壱分也
右は、来寅年正月より十二月廿三日迄私方ニて皆引請取仕、只今内金三拾七両也慥ニ請取申候、然ル上は諸御通行譬ひ何程の大触ニても聊無御差支、一切村人馬不差出取切相勤候処実正也、尤、御進発御用御役人様方御通行の分は、高百石ニ付三疋迄の分は是又私方引請、三疋以上ニ相成候得は三疋割を引、其残の人馬は村方より正勤可被成候、勿諭御進発御用の外は、何様の大触ニても急度相勤可申候、若当人不慮の義有之勤兼候義も候ハゝ、加判のもの引請相勤可申候、且、請負残金の分は、寅年ニ至り両度ニ御渡し可被下候、為後日請取証文仍て如件
慶応元年 荒井村
丑十二月 誚負人
与右衛門㊞
証人組合惣代
組頭 銀 蔵㊞
同村
御役人中
併
右村一同中
解説 この資料は、慶応元年(一八六五)鴻巣宿の定助郷である荒井村が、伝馬請負人である同村与右衛門と取り結んだ請負証文である。
これによれば、この年の荒井村の御伝馬勤高は一六五石であり、それを年間(寅年正月より一二月二三日迄) 雇替金七四両一分で請負っており、これは高一〇〇石につき金四五両の割合である。これまでに、内金として三七両を受け取っている。
また、御進発御用、御役人様方御通行の分は、高一〇〇石につき三疋までの分は、当方で引請けるが、超過分については村方で負担すべき旨を記している。
なお、万一、請負人の与右衛門に不測の事態が生じた折には、その証人である組頭が責任を持って請負うことも記されている。