北本市史 資料編 近代

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第2章 産業・経済

第1節 近代初期の農業と水利

1 水利管理及び河川改修

92 明治十三年(一八八〇)七月 共有悪水路堀巾引直し一件裁判言渡書
  (石戸宿横田長次家文書一三)
 明治十三年第三百五拾壱号
  裁判言渡書
   埼玉県武蔵国北足立郡石戸宿村鈴木ヤス外
   百四拾弐名惣代兼同村三拾四番地鈴木善右衛門
   代言人
   東京府日本橋区通油町壱番地
   原告   長谷川保造
   埼玉県武蔵国北足立郡荒井村福島左衛門
   外九拾三名同郡高尾村小島力蔵外百七拾九
   名惣代兼同村百五拾壱番地
   被告 新井弥兵衛
共有悪水路堀巾引直シ一件熊谷裁判所浦和支庁ノ裁判不服ノ控訴審理判決スル如左 原告控訴ノ主点明治八年埼玉県第弐拾五号達及ヒ人民心得書ハ、公益ノ為メニ設ケタル法律ニシテ、私約ヲ消滅変改スルノ力アルニ本訴論地堀敷ノ如キ、甲第一号契約ノ後百数十年ヲ経過スルノ間、壱度モ之ヲ堀浚へタルコトナク現在人民所有ノ畑地トナリテ、其ノ畑地ノ内被告村人民所有ノ分ハ地租改正実ニ地丈蛍ノ際被告村人民ニ於テ其畑地トナリ居ルコトヲ認メタルハ、右実際ノ形迹卜埼玉県第弐拾五号達及ヒ心得書ニ拠り、甲第一号証契約ノ消滅ニ帰シタルコトハ明ナレバ、被告ノ請求ニ応シ難シト言ウニアリ、然ルニ地租改正ニ付被告村人民ノ内数人ノモノ該堀敷ニ係レル畑地ノ取調方ニ干預(関与カ)シタルコトアレバ、右数人ノモノカ己レ一己ノ畑地ニ対シ干預シタル迄ニシテ、被告村人民一般ニシテ右堀敷ニ係レル畑地ノ儀ヲ認メタルノ証卜認メ難ク、又本訴争論事件ノ外甲第一号証ニ記載シアル条件卜現場ノ事実及ヒ形状卜変更ヲ生ジタルコトアルモ、右論外事柄ヲ以テ本訴争論ノ証トナスヲ得ス、又被告ニ於テハ堀敷堀浚ヘノコトヲ屡々原告ニ促カセシコトアルモ、原告ニ於テ履行セサル内、遂ニ地租改正ノ場合ニ至リタルモノニシテ該堀敷ヲ畑地ニ変更スルコトヲ黙認シタルコトナシト言ウニ、原告ヨリ提供セシ諸証ノ内地租改正ニ関スル書類ヲ除クノ外、該堀敷ヲ変シ畑地卜為シタル形迹ヲ徴スヘキ証ノアラサレバ、原告ハ被告ノ承諾ヲ得テ其ノ地形ヲ変換シ、或ハ被告ニ於テ甲第一号証契約ノ後一度モ其堀浚(へ脱カ) ヲ為サス其堀敷ニ関スル権利ヲ抛(放)棄シタルモノト定メ難シトス、而シテ明治八年埼玉県第二拾五号達及人民心得書タル本訴論地ノ如ク原被告間々争論アル地所卜雖モ、其争論及ヒ其地所性質ノ何ニ拘ハラス、特ニ現形ノ儘ニ定メヘシト言ウ趣意ノモノト認メ難キニ付前文ニ指示シタル理由ノ外、別ニ原告ニ於テ甲第一号証ヲ打消スノ証ヲ有セサル上ハ、原被告間ノ争論則チ本訴堀敷ニ関スル事柄ノ如キ甲第一号証ノ契約ニ準拠セサルヲ得サルモノトス、因テ右堀幅ハ甲第一号証第八項ニ下沼古田場ヨリ悪水落大江堀長弐百四拾間上口除杭ヨリ杭マテ巾七間半ヨリ二間迄云々、沼ヨリ大江堀江ノ悪水落シ長六拾六間半、上口巾弐間ヨリ三間迄トアルニ依リ該堀敷ノ内六拾六間半ノ方ハ其上流ノ頭ノ方ノ堀幅二間、其ノ下流末ノ所大江堀ニ合スル所ノ堀幅三間トシ、其ノ中間ハ二間ヨリ漸次三間ニ広カルノ割合ニテ堀広ヶ、九十七間ノ方ハ大江堀弐百四拾間ノ上流堀幅二間、其流末ノ堀幅七間半ニテ其中間ハ二間ヨリ七間半ニ漸次ニ堀広クル割合ヲ以テ流末ヨリ溯り九拾七間ニ当ル所六十六間半ノ堀ヨリ大江堀ニ合シタル所堀幅トシ夫ヨリ漸次広カリテ流末ニテ七間半トナル割合ヲ以テ右六拾六間半及ヒ九拾七間ノ堀敷ノ幅卜相定ムへキ儀卜可相心得候事
 但、甲第二号図ハ甲第一号第八項及ヒ原告番外第一号図卜抵触ノ廉アルニ付採用セサル儀卜心得ヘシ、訴訟入費ハ規則ニ準シ原告ヨリ被告へ償却スヘシ
   東京上等裁判所
明治十三年    判事伊藤謙吉
  七月八日

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