北本市史 資料編 近代

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第3章 北本の教育

第2節 近代教育の発展

2 青年会等の活動
江戸時代以来の若者組や娘組は、明治政府及びそれをうけた各県の文明開化政策によって廃絶させられた。しかし、地域の人々の日常生活に欠かせない村内の祭礼・婚姻・共同奉仕作業等には村の青年集団が関与していた。
こうした中で、埼玉県では、明治二十年頃から各地に青年会が設立されるようになり、特に、日露戦争後に急増する。市域では、明治三十九年、石戸村に、同四十年、中丸村に青年会が設立された。資料191は中丸村青年会々則であり、その組織が示されている。青年会の主な活動は、資料192のように、壮丁教育終了者や模範青年の表彰・実業視察・青年文庫の設立・青年夜学会の開催などであった。これは、日露戦争後に盛んになる地方改良運動の推進とともに、資本主義的消費経済の波に覆われ始めた農村青年に対する風紀改良・勤倹貯蓄推進等の運動にあった。このため、青年会会長は村の有力者がなり、青年会活動が地方自治の一端に組み入れられていった(資料194)。石戸村青年会は、その活動をもって、優良青年団に選ばれた。
また、青年夜学会は、この頃の青年会の重要な活動の一つであり、青年の精神修養や村内青年集団の団結心の強化等、青年補習教育に効果が大きかった(資料193・195)。

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