北本市史 資料編 現代

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第1章 政治・行政

第3節 北本市の発足

50 昭和四十六(一九七一)年八月 私どもの見解
  (下石戸下 長谷川幸男家所蔵)
私どもの見解
私どもは新市名を「解脱」とすることなく「北本」とする請願署名運動を行って来ましたが、今日までに当町有権者七千余名の署名を得ました。
解脱会では「解脱市」命名の提唱運動を今回は取りやめ、町長、町議員は新市名を「北本」とする申し合わせを行ったと聞いておりますが、請願署名を行った住民多数の意見を闇に葬り去ることはできませんのでここに請願書を提出いたします。これは「新市名を北本市とする会」の会員(約百名)の総意ですでに決定したことであり、私どもはその総意に背くことはできません。
この請願書を正当に受理し、請願署名を行なった住民多数の意見を尊重されるようお願いします。
新市名についての今回の私どもの会の運動は、受動的にやむなく行なわれたものであります。
発端は解脱会の「解脱市」命名の提唱運動にあり、また事態をここまで紛糾させた一半の責任は町当局・町議会にあると考えます。
新市名についての提唱運動が起こった時点で町当局・町議会は新市名はどのようにして決まるのか、命名提唱運動に対してはどのような態度で臨むのか、ということを町民に十分に知らせ、町民の不安動揺を除去すべきでありました。私どもの反対運動が起ってからも、なんら具体的処置を講じようとはしませんでした。
この点に関して責任ある態度を表明さるべきであり、それを文書でお示しいただきたいと思います。
もし、それが果されるならば、私どもはすみやかに全員総会を開き、その総意にもとづいて、私どもの最終的態度を御返答申し上げます。
請願権は国民の権利として保障されているものです。町議会議長及び一部の議員に私どもの請願活動を拘束し、あるいは非難するような発言があったと聞いておりますがまことに遗憾に思います。
 八月三十一日
     「新市名を北本市とする会」
           世話人 吉田忠一
                外一同
 町   長 齊藤  隆 殿
 町議会議長 吉田 慎一郎殿

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