北本市史 資料編 現代

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第6章 教育と文化

第3節 教育活動の展開

戦後の食糧不足により児童の発育の低下が心配されたため、ガリオア資金、ララ物資などの援助をうけ、学校給食が実施された。北本では、石戸小学校が昭和二十四年(一九四九)、中丸小学校は二十六年から開始されたが、当時はまだ副食給食の段階であった。その後、栄養面の理由から、パン・ミルク・副食より成る完全給食の実施を求める請願が出された(資料177)。完全給食が実施されたのは、石戸小学校が三十五年、中丸小学校が三十七年からである。
資料178は、中丸小学校の理科教育振興資金受賞に関するものである。これは、ソニー社が義務教育学校の理科教育振興のために行なってきた事業であるが、昭和四十一年、中丸小学校が埼玉県で初めて受賞した理科教育振興資金賞である。資料(第六章扉写真)により、同小が理科教育に大変熱心であったことが窺える。

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