実録まちづくりにかける集団

北本この人 >> 実録まちづくりにかける集団

第2編 「わぁ、つくしんぼみたい、わたしのおうち」
   あそびの学校が歩んだ十三年

六 自分で考え創り出すこと(遊びの学校実践活動から)

手打ちそばは種まきから
手打ちそばを食べさせたいというリーダーがいた。自分で作ると忘れられない味になるという。たまたまリーダーの中に、農業を専業としている峰尾がいた。同じことなら、畑を借りて、種まきから収穫まで体験させ、収穫したそばの実を石臼で挽いて、手打ちそばを作り食べさせたら、もっと喜びが大きくなるだろう。ということで、畑を借り実施することとした。

写真5 石臼での粉ひき体験

平成五年八月初旬の暑い日、広い畑をみんなで耕し、畝を作って種をまく。こんな小さな種でうまく育つのだろうかとの思いがあった。うまい具合に数日後雨が降った。一週間ほどで緑色の芽が出始め、一〇日ほどすると双葉になった。二〇日を過ぎると本葉が出始めた。
一か月で花が咲き始めた。気になって毎日のように農場をのぞいた。最初の開花から二〇日ほどで、畑は真っ白なそばの花で埋まった。種をまいて二ヶ月過ぎ当たりから実をつけ始めた。
それから二週間ほどで、畑はそばの実であふれていた。天気の良い日を選んで刈り取りだ。刈り取ったそばは、一時、追加乾燥させるために干しておき、広げたむしろの上で、棒でたたいて実を落とす。ずいぶんな量の収穫があった。
そばは、種まきから概ね三ヶ月で収穫ができる。むかし、開拓地で最初に作られるのはそばだったという。まず早い収穫で食料を確保するためである。しかも、そばは荒れて痩せた土地でも、しっかり育つことから、なくてはならない作物であったようだ。
峰尾が古い農家から石臼を借りて、粉挽きをしたのは十一月になってからであった。子供たちはもちろん、大人の受講生にとっても、石臼を挽いた経験のあるものはいなかった。手で回す石臼は、しっかりした手応えがあったが、
「昔の人はこうして粉を挽いていたんだよ」
というリーダーの言葉は、子供たちにそのまま受け入れられた。できた粉を使っての手打ちそば作りが始まった。指導は、峰尾率いる「麺こクラブ」の方たちが担当した。
ボールに粉をいれ、少量のお湯を入れてかき混ぜ、ダマができたら練りこんでいく。滑らかになったところでノシ板に移し、麺棒で薄く延ばしていく。何度も繰り返して薄く広げられたそばをたたみ、包丁で切ってそばのできあがりだ。沸騰した大鍋の中に、そばを入れ二~三分で引き上げ、冷水でもむように洗うと、つやが出てくる。ざるに移して「一丁上がり」である。
そばやさんに行って注文をすれば、何の苦労もなく出てくるそばではあるが、畑を耕し、種をまき、収穫をして、石臼で粉を挽く。力を入れて手でこねて作り上げたそばは、子供たちにとって宝物になった。
「たった一杯のそばを作るのに、こんな大変な思いをしなければならないんだ。大事に食べてあげようね。」
というリーダーの言葉には重みがあった。

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