北本市史 通史編 自然

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第1章 北本の地形

第3節 大地を刻む開析谷と沖積低地

1 開析谷と発達環境

大宮台地には、芝川や鴨川(かもがわ)などの河川の流路となるような長大な侵食(しんしょく)谷のほか、大小多数の谷が発達している。市域には、河川が流下する程の大きな開析谷(かいせきこく)の存在は認められないが、台地上を樹枝状に複雜に刻(きざ)む谷の侵入は著しく、平坦な台地に明らかな起伏を付加し市域の地形を代表する特徴となっている。

図7 開析谷縦断面図

桜堤から城山、石戸宿方面に発達する開析谷のハンドオーガーボーリング結果(自然P23)に、泥炭層の採取地点と砂礫層及び14C測定資料採取地点(A-No.11、B—No.27、C・D-No.19)を記載。(『市史自然』P31より引用)

市域に展開する開析谷は、周辺台地との比高差が小さく比較的谷底が広く開けたものと、比高差が大きく、かつ樹枝状に複雑に掘り込まれた狭長な支谷(しこく)とに大別できる。
西高尾から住宅都市整備公団北本団地を経て、桶川市日出谷を通り、上尾市領家付近で荒川に至る延長およそ七キロ メートルの谷が前者に相当する。
台地西部の宮岡・荒井・石戸宿付近には、台地面との比高が明瞭で複雑に侵入する開析谷が荒川河床にむけて発達し谷地田や沼沢(しょうたく)地をつくる。そこを涵養(かんよう)する水は台地斜面や谷底からの湧水であり、河川の流下は見られない(自然Pニニ)。
狭い谷底には、泥炭層(でいたんそう)・シルト質層・粘土層が数メートルも堆積し、そこから採取した泥炭や木片の放射性炭素測定年代は、最も古いもので五ーニ〇±四〇年(三一七〇BC・縄文時代(じょうもんじだい)前期)、新しいものは三三二〇土 ー〇〇年(ニニ二〇BC・縄文時代後期)を示す。
泥炭層は、開析谷の縦断面が平衡(へいこう)を保つ谷底に発達し、谷頭(こくとう)付近や谷の傾斜の急な場所にはほとんどその発達がみられない(自然Pニー)。
淡水から海水まで、種々の水域に生育する微細な藻類(そうるい)である珪藻(けいそう)は、化石として残りやすい。従って、珪藻分析は古環境の復元に有効な手段としてしばしば利用される。
そこで、市域西部に発達する開析谷(かいせきこく)の形成過程の復元を意図して荒井・高尾・石戸宿等の谷底で五メートルのハンドオーガーボーリングを行い、これによって得た試料の珪藻分析を安藤一男に依頼した。
珪藻分析の結果は、石戸宿・荒井・高尾のどの開析谷底でもすべて淡水生種の珪藻のみしか検出されず、市域西部台地の小支谷には縄文海進の影響は直接及んでいないことが明らかになった。
また、これらの珪藻は淡水止水域に生育する沼沢湿地付着生種群が極めて優勢で、そのほかに湖沼沼沢地(こしょうしょうたくち)指標種群(図8)が産出されたことが確認された。珪藻分析の結果は、台地西部に複雑に切れ込む開析谷が深浅の地域差を保ちながら沼沢湿地的環境で成長してきたことを裏づけた。

図8 北本市西部開析谷の珪藻ダイヤグラム-1

1.シルト質砂層 2.粘土質シルト 3.泥炭層 4.シルト質粘土層 5.粘土層 6.シルト層 7.腐植 8.木片又はクルミ片 9.淡水生種 V.珪藻帯区分.淡水生珪藻帯 N.湖沼沼沢湿地指標種群 O.沼沢湿地付着生種群+.産出数1%以下をあらわす。 〔安藤一男に分析を依頼して得たものである〕

また、宮岡小支谷(しょうしこく)の出口付近の荒川河床から掘りだされた時代不詳の独木舟(まるきぶね)は、付近の低地が当時沼や潟のような水域にあったことを考える有力な遺物とされている(原始P四三〇)。
ハンドオーガ—ボーリングによる地層の堆積状況や放射性炭素測定年代、珪藻分析(けいそうぶんせき)結果等を総合すれば、市域西部の開析谷の形成過程は次のようにまとめることができる。
洪積台地に長い間働いた侵食作用は、ローム台地下の一五メートル付近に堆積する砂礫層にまで届く深い侵食谷を形成した。しかしこの硬い砂礫層は強く侵食に抵抗し、自らが遷移点(せんいてん)となって河谷の平衡を保ち、たいへん緩(ゆるや)かで狭小な盆地状の小支谷を発達させた。
局所的な起伏を持ったこれらの小支谷は、縄文時代の高海水準期に荒川本流からの砂礫の堆積(自然堤防の形成)によって谷口が閉ざされ、または加須(かぞ)低地方向に傾斜し、沈降する造盆地運動が台地西縁を上昇させて谷口を閉鎖状態にし、盆状の開析谷に周辺台地から流水が集まるような沼沢湿地的な堆積環境が形成された。
ヨシやアシの繁茂する沼沢地的環境の河谷は、周囲の台地から流入する土壌によって次第に埋積(まいせき)され、厚い泥炭層(でいたんそう)や粘土層を発達させた。このような沼沢地的環境の成立時期は、放射性炭素測定の年代から少なくとも縄文時代前期にまで遡(さかのぼ)ることができ、以来今日までずっと湿地的環境が継続してきたことが珪藻分析の結果からも明らかになっている。

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