北本市史 通史編 近代

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第2章 地方体制の確立と地域社会

第4節 地域の生活・文化の動向

1 地方組織の整備

消防組織

写真76 消防組消防手の辞令

(福島善一家 9)

明治初期の県内の消防組織は、江戸時代の火消しにならって各宿村ごとに自警的な火消組が置かれ、統一された組織は構成されていなかった。明治八年(一八七五)に行政警察規則が公布されて、消防に関しては警察事務の一環として消防に関する警察官の執務心得などが定められた。しかし、体系的な組織化は遅れ県では同十九年、消防組織編成規則を公布した。これによれば、消防組は警察署または分署所轄内で一町村一組、又は数組を編成し、その名称は町村名を冠称すること、組員は原則として一七歳以上四五歳以下であって、その編成は所轄署を経て県庁に届け出て認可を受ける。消防組の諸費用はすべて町村内戸別割で賄(まかな)われ、組合員の負傷や死亡に対する弔慰(ちょうい)金や療養費は、村内協議費をもって支出された。
市域の消防組組織については史料不足で明確ではないが、器具は、電竜水・鳶口・玄蕃桶(げんばおけ)・刺杈(さすまた)・手桶などが備えられた。明治二十一年(一八八八)の石戸宿「消防調入費割合帳」によれば、これらの消防器具やその修繕費維持費にあてるための費用が地租割・個数割・戸別割に計算されている。
同二十四年に消防組編成標準が布達されて、次第に消防体制が整えられていったが二十七年政府は消防体制の全国的統一を期して消防組規則を公布した。そのねらいは消防行政の全国的統一化と私設消防組の廃止にあった。それまで消防事務は市町村に委託されていたが、それを府県知事の警察権に属させ、実際には管轄警察署長がこれを担当した。しかし、消防組の経費については依然として各市町村の負担とされた。

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