北本市史 通史編 近代
第3章 第一次大戦後の新展開
第2節 地域産業の発展と動揺
2 北本の特用農産物
製茶北足立郡大砂土村を中心として産出する製茶は、すでに名声を博しており、大正六年五月には一貫目三円七、八〇銭位で取り引きされていた。同郡では製茶の改善により増産をはかり、販路の拡大を目的として茶業組合製茶教師養成所、並びに改良法伝習所を開設し、石戸村では同六年五月十四日から十八日までの期間開設された(近代№一三六)。この後も石戸村では八年まで毎年改良法伝習所が開設され、製茶伝習が行われた(『国民新聞』)。同十二年には、石戸村を含む九か村で製茶伝習所が開設され、教師一名がそれぞれ配置され、一か所に対し一五円の補助が出されていた(『東京日日新聞』大正十二年四月二五日)。
昭和二年十月に北足立郡ほか三郡の茶業組合主催により、第一回製茶品評会並びに手揉(ても)み製茶競技会が開催された。石戸村からも手揉み製茶競技の初日に一等受賞者が、製茶品評会の機械製再製茶の部門でも一等受賞者がでた(『東京日日新聞』昭和二年一〇月二一日)。また、同十二年十月にも同様に北足立郡ほか四郡二市の茶業組合主催による製茶競技会が開催された。手揉み茶部門は大砂土村で、機械部門は石戸村で実施された。この協議会の褒賞授与式が石戸村製茶同業組合で挙行され、石戸村からも一等受賞者がでていた(『東京日日新聞』昭和十年一〇月二九日)。地道な製茶講習や製茶競技会の活動により、製茶技術は向上し、品質の良い茶が出回るようになった。
昭和十年になると、石戸村では村議自力更生委員会等の村の有力者の協議により、トマトに次いで「石戸の製茶」で全国的に販路を広げ売り出すことを計画した。石戸村では石戸村製茶組合を組織し、一〇〇〇円の補助を農林省から受けることとなった。五月には敷地六〇坪の製茶場が落成し、最新式製茶機一三台が取り付けられ、製茶事業が本格的に開始された。組合発会式には県知事をはじめ、農林省から関係技師数名、農務課員数名、その他隣接町村長一〇〇余名が出席した。こうしたことによって、村がトマトとともに、製茶にも大きな期待をかけていたことが知られる。
写真101 茶の選別
大正12年 高尾(金子きく代家提供)
写真102 茶摘みの勤労奉仕
昭和18年 高尾(谷沢利一家提供)