北本市史 通史編 近代

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第3章 第一次大戦後の新展開

第2節 地域産業の発展と動揺

2 北本の特用農産物

その他の特用農産物
昭和の初期に、中丸村ではカーネーション・菊、石戸村でもチューリップといった花卉栽培が行われた。中丸村の場合、温室によるカーネーション栽培が試みられた。六月ごろ、坪当たり五〇本ないし七〇本くらい定植し、温度を夜間一三度、昼間二四度に設定し、獣骨粉を肥料として栽培することにより、ふっくらとした花が咲き、九月初旬から切り始めることができた。年末は特に高く売れた。二回目の花は、四~五月ころであった。この温室による栽培は、燃料・肥料・殺虫剤・苗その他諸経費を差し引くと幾分かの利益が上がる程度のものであった(『東京日日新聞』昭和八年二月一日)。昭和八年六月十日には、県知事による温室カーネーション栽培の農事視察が行われた。
同じころ中丸村では、菊の温室栽培がトマトの温室栽培とともに研究されていた。三~四月ごろ、挿芽(さしめ)をして露地で五寸位にしてから、五月下旬に温室内に定植した。温室の菊は、茎の色や葉の色に甘味のある味が出て、丈夫で気品があるとされた。坪当たり約五~六円の収入が見込まれた。しかし電力会社によるテストによると、電熱を利用する温室は小規模なものでは採算がとれず、寒い時期には一か月一万キロの熱量を消費し、一キロ最低五銭を見込んでも五〇〇円を要してしまう。テスト中ということで十一月から四月まで二〇〇円に割り引いて計算しても、石炭の三倍にあたる費用がかかった。温室栽培は「副業では駄目で、まったく本業でなければ利益をあげることができない」ものであった(『東京日日新聞』昭和八年二月四日)。
また同じころ、石戸村では村議会を中心に、トマトに次いで「チューリップの石戸村」にしようと全村民が意気込んだが(近代№一四一)、残念ながら、これも産地化するまでには至らなかった。
昭和二年の北足立郡農会の家畜頭数分布表によると、石戸村の養豚数は郡内一の四八六頭であった。昭和三年十二月の家畜其の他頭数調によると、石戸村は、牛一八三、馬二二、豚八〇二、兎三二〇〇、鶏八七一〇という数の家畜を保有していた(近代№一四二)。豚の数が前年よりかなり増加していることが知られるが、また、この時期には豚のみに限らず、その他の家畜も幅広く養育されていた。もともとこの地域は養豚が盛んであったが、経済更生運動のもとに自力更生を目指して、畜産の多角化が試みられた。

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