北本市史 通史編 近代

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第3章 第一次大戦後の新展開

第4節 生活と文化の展開

1 地方軍事組織の強化

在郷軍人会
在郷軍人会とは、陸軍が中心となって在郷軍人(退営後帰郷して予備兵役・後備兵役についている人々、及び入営はしないが補充兵役についている人々)を町村ごとに組織した団体であり、明治四十三年(ー九一〇)十月三十一日、帝国在郷軍人会が創設された。同会は、それ以前各地にあった在郷軍友会などの在郷軍人団体を統合して、軍事訓練と国民統制を目的として結成された。この年の五月には大逆(たいぎゃく)事件の検挙が始まり、八月には韓国が植民地化されるなど日本が帝国主義的体制を固めていった時期である。
会の目的は、規約第七条に「本会は軍人に賜わりたる勅諭(ちょくゆ)の精神を奉体し、在郷軍人の品位を進め親睦を醇(あつ)うし相互扶助し、軍人精神を振作し体躯を練り軍事知識を増進するを以て目的とす」と規定され、第八条には、三大節の遙拝(ようはい)式及び勅諭奉読式・陸軍記念日祝典?戦役死亡者の祭典・遺族の救護・撃剣会の開催・有勲者の名誉保持などーー項目の事業をあげていた。なかでも会創設の要点は、在郷軍人の統制と軍隊の国民的基盤を固めるために地域へ軍人精神を普及させることにあった。つまり、日露戦争後の明治四十年四月「帝国国防方針」「国防に要する兵力量」
「帝国軍用兵綱領」が策定され、仮想敵国をロシア、アメリカ、フランスの順とし、仮想敵国との戦争に必要な軍備の拡大をかかげた。これを容易ならしむために軍部は軍事以外の領域(教育や社会問題等)に対しても積極的に関与するようになった。さらに広範な国民の各層に軍隊のモラル、軍国主義のイデオロギーをおし広げることを必要としてきた。軍隊と国民の媒介者として、このような役割を担うものとして出現したのが在郷軍人会や愛国婦人会などの半官半民の団体であった。在郷軍人会の組織は、陸軍当局の統制が強く働くようつくられた。現役将校や陸軍当局者が会の役貝になることができるよう任意団体で発足させ、会長は陸軍大臣が、実質的連営者である本部高級理事は軍務局長が兼任した。また支部は各連隊区ごとに設置され、支部長は連隊区司令官が、支部役員は連隊区司令部の将校が担当するなど連隊区司令部そのものであった。
市域では『石戸村郷土誌』に、石戸村在郷軍人会の沿革が述べられている。それによれば、まず明治三十七年(ー九〇四)一月二十日吉田時三郎村長の主唱の下に石戸村在郷軍友会が組織された。程なく日露戦争が起り会員は皆召集されてしまった。戦後、軍友会は廃され、同三十九年十一月に石戸村在郷軍人同盟団を起して、十二月
十五日に発会式を執り行った。以後、春秋の二回、西南戦役・日清戦争・日露戦争等における戦病死者八名に対する祭祀を行い、また団員の親睦、軍事上の講演会などを開催し、在郷軍人の品位を保ち士気を振起するために努力した。

写真127 石戸村在郷軍人会耐寒訓練

(『国民新聞』大正6年12月16日より引用)

こうして明治四十三年(ー九一〇)十月三十一日創設された帝国在郷軍人会をうけて、翌四十四年四月一日、帝国軍人会石戸村分会が発会した。同会は第六条でーー項目の事業(帝国在郷軍人会の規約第八条と同じ)を挙げて、軍人精神を国民生活の中に浸透させる役割を果たした。
大正末期には規約改正を行い、労働運動や農民の小作争議などに対抗する傾向をみせ、昭和に入って軍部による中国侵略が本格化すると社会運動抑圧、国体明徴(めいちょう)運動の一翼をにない、昭和十一年には勅令(ちょくれい)団体として、軍国主義の宣伝?戦争体制への協力など翼賛圧力団体としての性格をあらわにしていった。

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