北本市史 通史編 近代
第4章 十五年戦争下の村とくらし
第1節 十五年戦争下の村政
2 国民精神総動員運動と村政
戦争の住民生活への影響昭和十二年七月の蘆溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけに、日本は宣戦布告のないまま中国への全面的な侵略戦争に突入した。戦争の全面化にともなって軍事予算は激増し、軍需生産を最優先とする経済統制が強化され、同十三年には企画院(きかくいん)の立案した国家総動員法が制定された。これによって政府は、議会の承認なしに「人的及物的資源ヲ統制運用」する権限をえ、賃金統制令・国民徴用令・価格統制令などを次々と発令し、物資動員計画に基づいて軍需の確保と民需の制限をはかった。軍需生産を中心に重化学工業が一段と比重を高め、財閥(ざいばつ)の産業支配が強化され、満州・朝鮮の重化学工業も進展した。また、昭和七年三月関東軍を主導(しゅどう)として成立させた傀儡(かいらい)国家「満州国」の対ソ治安維持をねらいに、恐慌下の過剰人口を減らすため前述したように農業移民としての「満州開拓団」が送りこまれた。
写真135 国民精神総動員の横断幕
(加藤一男家提供)
この運動の政府実施機関として内閣情報委員会、内務省及び文部省があたった。しかし、実際の実施機関は国民精神総動員中央連盟という外郭(がいかく)団体が中心となり、道府県には知事を中心とする官民合同の地方実行委員会が設けられ、市町村では市町村長が中心となり町内会・部落会にまで運動の徹底がはかられ、地域社会の隅々(すみずみ)まで浸透(しんとう)するよう万全の措置がとられた。
埼玉県では昭和十二年十月九日、国民精神総動員埼玉地方実行委員会の第一回委員会で「国民精神総動員埼玉県実行計画」が決定された。概要は次の通りである。
○実施目標
尊厳(そんげん)ナル我ガ国体ノ本義(ほんぎ)ニ基キ国際正義、社会正義ニ立脚(りっきゃく)セル帝国ノ国是(こくぜ)ニ則(のっと)り、功利的(こうりてき)個人主義的観念ヲ一掃シ全体主義的立場ニ立チ、社会風潮(ふうちょう)ヲ一新シテ尽忠(じんちゅう)報国、挙国一致ノ精神ヲ鞏(かと)ウシ、所期ノ目的ヲ貫徹(かんてつ)スベキ国民ノ決意ヲ固メ、堅忍持久(けんにんじきゅう)其ノ実践(じっせん)ノ徹底ヲ期スルモノトス
○実践事項
○実施方法
尊厳(そんげん)ナル我ガ国体ノ本義(ほんぎ)ニ基キ国際正義、社会正義ニ立脚(りっきゃく)セル帝国ノ国是(こくぜ)ニ則(のっと)り、功利的(こうりてき)個人主義的観念ヲ一掃シ全体主義的立場ニ立チ、社会風潮(ふうちょう)ヲ一新シテ尽忠(じんちゅう)報国、挙国一致ノ精神ヲ鞏(かと)ウシ、所期ノ目的ヲ貫徹(かんてつ)スベキ国民ノ決意ヲ固メ、堅忍持久(けんにんじきゅう)其ノ実践(じっせん)ノ徹底ヲ期スルモノトス
○実践事項
- 一、
- 日本精神ノ発揚(はつよう)、
- 二、
- 社会風潮(ふうちょう)ノ一新、(1)堅忍持久(けんにんじきゅう)ノ精神ノ涵養(かんよう)--(イ)不動精神ノ鍛練(たんれん)、(ロ)必勝ノ信念ノ堅持、(ハ)対敵心構(こころがまえ)ノ訓練(流言(りゅうげん)ニ迷ハヌコト、国家機密ヲ守ルコト、防空訓練)、(2)困苦欠乏二堪(た)フル心身ノ鍛練—-勤倹カ行(きんけんりっこう)、(ロ)生活刷新、(ハ)享楽(きょうらう)ノ節制、(3)小我(しょうが)ヲ捨テ、大我(たいが)ニ就クノ精神ノ体現、(4)各人職分恪循(かくじゅん)、
- 三、
- 銃後ノ後援ノ強化持続、(1)出動将兵へノ感謝及銃後後援ノ普及徹底--(イ)派遣軍人家族慰問、家族幇助(ほうじょ)、(ロ)殉国(じゅんこく)者慰霊、家族慰問、家業幇助、(ハ)銃後後援献金献品、(2)隣保相扶(そうふ)ノ発揚、(3)勤労奉仕、
- 四、
- 非常時経済政策へノ協力、(1)勤労報国、(2)労資一体産業報告、(3)利益壟断(ろうだん)ノ抑制卜暴利抑制、(4)国債応募勧奨(かんしょう)、(5)冗費(じょうひ)節約貯蓄奨励、(6)国際収支ノ改善、
- 五、
- 資源ノ愛護、(1)軍需資源消費抑制、(2)物資ノ無意義ナル消費排除、(3)廃品ノ蒐集(しゅうしゅう)利用、(4)発明創造、(5)資源ノ蓄積
○実施方法
- 一、
- 講演会、座談会ノ開催、
- 二、
- 印刷物ノ刊行、
- 三、
- 新聞雜誌其他文化機関ニ依ル宣伝、
- 四、
- 映画宣伝、
- 五、
- 国民精神総動員強調週間ノ実施
(埼玉県編『国民精神総動員資料第一輯』所収 国民精神総動員に就て)
以上に基づいて各市町村では、市町村長が中心となって各種団体を総動員し、さらに町内会・部落会・職場ごとに実施計画を樹立してその実行に務め、各家庭に浸透するよう配慮された。市域においても、この国策に基づいて直ちに国民精神総動員運動が開始された。