北本市史 通史編 近代

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 近代

第4章 十五年戦争下の村とくらし

第4節 十五年戦争下の生活と文化

5 戦時下の人々のくらし

統制経済と配給
日中戦争が勃発(ぼっぱつ)した翌年の昭和十三年四月、「国家総動員法」が公布された。これは国民経済と国民生活のすべてを官僚統制の下におき、戦時におけるあらゆる「人的及物的資源」をまず軍需第一とし、そのための大幅な権限を政府に委任することを規定したものである。この法に基づく政府命令は、議会の議決を必要としない勅令(ちょくれい)によって発せられることになり、国家機構のなかにおける議会と政党の地位は著しく低下し、逆に政府の権限は異常なまでに増大した。このような法律を施行せざるをえなくなったのも、戦略物資(石油や鉄など)を国内でほとんど産出できないにもかかわらず、それら戦略物資のおよそ七〇パーセントを輸入しているその相手国に戦争を仕掛るという無謀な仕業のしからしむるところであった。
戦争の拡大と長期化は国民生活に種々の影響を及ぼした。ガソリンを初めとする石油類は軍需優先となり、民需は日に日に品不足が目立つようになり、「ガソリン一滴血の一滴」といわれるようになった。食料生産も化学肥料生産設備が火薬用に転用されるなどによって不足し、また軍事動員により農村の労働力は不足し、次第に生産活動に支障をきたすようになった。

写真166 戦時郵便貯金切手

(小林恒一家 534)

写真167 戦時貯蓄債券

(小林一家 533)

県も国家総動員法を受けて、県民の生活と経済活動全般に抑制(よくせい)と統制を行い、国策遂行のための物資・食料・人員の供給確保につとめた。経済の統制は、戦争の本格化にともなう生産機構の軍需への全面的な転換による急激的なインフレ化や物価の騰貴(とうき)を抑制するための価格統制、次いで戦争が膠着(こうちゃく)化するなかで最低限の生産物資を確保するための配給制度の実施、金属回収運動、さらに国民経済の抑制を監視・取り締まるための経済警察の強化へと進んでいった。

写真168 家庭用清酒購入券

(小林恒一家 561)

昭和十五年になると配給制がしかれた。日常生活物資として、一月末に木炭取締規則が施行され、小売商の自由取引が禁止された。同十六年三月には生活必需物資統制令が公布され、マッチ・せっけん・タバコのほか、食塩・味噌・しょう油・食用油といった調味料から子供向けの菓子に至るまで切符による配給制が実施された。
主食の本格的配給は同十六年四月から行われるようになり、一般の大人一日二合三勺(三三〇グラム)を米穀通帳により指定された米穀店から配給された。翌十七年後半から戦局が不利になるに従い、外米(ビルマ産のインディカ米で内地米と異なり細長くねばりの少ないパサパサしたもの)のほかに、麦・甘請(かんしょ)・馬鈴薯(ばれいしょ)・とうもろこし・こうりゃん等が代替(だいたい)配給されるようになった。同十九年には飼料用の大豆粕・どんぐり粉までも代用品として配給されたが、同二十年になると一日二合三勺の基準さえも削減(さくげん)されるようになった。さらに同年五月になると、県は「本県内ニ野生スル主ナル食用山菜野草利用法」を出して、タンポポ・ヨメナ・ナズナ・オオバコ・アカザ、などの加工処理方法を示す始末であった。
金融面での統制も行われ、昭和十二年九月には「臨時資金調整法」が制定され、金融機関による設備資金の供給は軍需産業に向けられ、他方資金吸収のため、日本勧業銀行による割増金つき債券が発行された。その後の公債の発行増大によってインフレが進行した。政府はそれを防止するためにも国民の消費を抑制し、貯蓄の推進をはかる必要から同十三年四月に国民貯蓄奨励局を設け、国民貯蓄運動を展開した。

<< 前のページに戻る