北本市史 通史編 近代
第4章 十五年戦争下の村とくらし
第1節 十五年戦争下の村政
4 石戸村と中丸村の合併
翼賛体制の推進と町村合併昭和十七年六月に、埼玉県振興課より出された「町村合併の手引」(『県史資料編二〇』No.一二八)によると、戦争完遂・必勝体制維持のためには、地方自治体の強化をはからなければならないとされた。国政事務が市町村へ委譲され、国家的要請が強化された状況下では、時代に相応した区域の拡大が必要な条件であった。
高度国防国家体制を確立するためには、地方においても一元的総合的な拠点が必要であった。そこで埼玉県では、小町村に対して合併による利益を提言し、その有効性を示した。
例えば、小町村では「犠牲的待遇」のために人材を得ることが困難であったものが、合併により広く人材を得ることができるとした。戦時下において行政事務が肥大化し、自治体機構も拡充の一途をたどっているにもかかわらず、「人的資源の枯渇(こかつ)」した状況では、優秀な吏員を確保することが困難で、地方自治体の「悩みの種」てもあったからである。また、合併により施設を合理的に活用することができ、人的資源の確保がなされ、町村事務が適切に行われるとした。
従来の行政区域をはなれた地方の経済的発展が合併によりはかられると予想した。行政区画が経済区画と一致することにより、住民の総合的福祉の増進がはかられることが予想できるとし、市町村の区域が従来の観念にとらわれる必要のないことをうたった。
戦争完遂のためには、多くの人的資源を必要とし、合併にともなう吏員等の余剰(よじょう)人員の整理によって、必要方面に余剰人員が向けられるとした。
町村の経費を節約することができるほかにも、町村内の産業組合・農会・在郷軍人分会・青少年団・婦人団体等の各種団体の組織は、区域が拡大することにより、会員や組合員が増加し、経済的基盤が強化され、その活動力が増加するとした。
国内の新体制の整備が「一日遅れれば戦勝が一日遅れ、戦いは一日長びく」として、「町村百年の大計樹立(じゅりつ)に積極的に活躍」することをうたい、町村合併の意義を強調した。石戸村・中丸村でも、これをうけて町村合併に着手することになった。
写真144 中丸村役場
(加藤一男家提供)
写真145 石戸村役場
(峯尾榮家提供)