北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第2節 町村合併と三十年代の村政

1 町村合併をめぐる動き

住民が決めた「現状維持」
二つの合併案が行き詰ったとき、残された選択のよりどころは住民の意思であった。それは各区単位にとりまとめられ、九月七日の協議会で集約された。その結果を次に示す。
1 合併賛成  4 北中丸東、ニッ家、九丁(くちょう)、勝林(かつばやし)
2 現状維持 30 賛成・中立を除く残りの各区
3 中  立  8 北中丸南・西・北、宮内上、北本宿(東18・20区)、荒久保、城中
4 投票なし  7 花ノ木、宮内下、北本宿上原(かみはら)、深井、堀の内、荒上手、大平
注、(現代No.十九)の集計数値と異なるが、ここでは各区長提出の回答用紙から得た数値をあげた。
以上の結果から現状維持がきまり、およそ半年間に及ぶ合併問題は結論を得た。しかし新たに新市町村建設法が施行され、同法は未合併町村に対する知事の合併勧告権について九十日以内に合併申請をしない場合には住民投票を再勧告し(第二十八条)、さらに四か月以内に合併しない場合には自治大臣の勧告、それも拒否すれば「財政援助を打ち切ることができる」(第二十九条)と規定した。これを背景に再び合併促進の動きが強まり、昭和三十二年二月、埼玉県市町村建設促進審議会委員及び地方課員が来村した(注、傍点筆者)。
○ A主事。(前略)知事が未合併村について、合併の必要を認めた場弁は議会に諮(はか)って勧告するので、今日は本村の実態調査に(中略)伺った。
○ B県議。知事と協議して勧告するものであるが、当村は町村合併について協議したことがありますか。
○ C委員。審議会において合併勧告を決定するものであるが、本日は(中略)人口、財政について知りたい。
○ D県議。議会として、町村合併について(中略)本会議に諮って、決定事項を報告してもらいたい。
以上は当日のごく簡単な記録を要約したものであるが、これをみる限りでは、調査を越えて合併強制の雰囲気が認められる。
これに対して、後日村会議員・区長合同会議が開かれたが、先の結論は変わらず(現代No.二十)、議会もまた現状維持を議決した。こうして紆余曲折(うよきょくせつ)した合併問題は、最終的に決着した。それがよかったかどうかは、厳密なシミュレーションにまたねばならないが、現状維持を決定したのは、住民の多数意思であった。

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