北本市史 通史編 現代
第1章 戦後復興期の北本
第3節 食糧増産時代の北本
1 農地改革の推進と農村民主化
農地委員の選出と委員会の構成戦後、地主的(じぬしてき)土地所有制度の解体と農村の民主化を目指して着手された農地改革は、埼玉県の場合、昭和二十二年三月三十一日の第一回買収から同年十二月二日の第四回買収によって、四万余町歩(進捗(しんちょく)率九十一パーセント)の解放が行われた。
この間、北本宿村でも農地改革は実施されるが、改革に先立ってまず農地委員の選挙が行われた(北本宿 六十一)。
北本宿村の農地委員選出は、他市町村一般の委員数十名に対し十六名で行われた。ただし、委員会構成員の自作、地主、小作別出身階層割り合いは、原則の「二対三対五」に準じて「三対五対八」とされ、地主代表委員による自作代表委員の取り込みによって、委員会が牛耳(ぎゅうじ)られることのないように配慮されていた。
昭和二十一年十二月二十二日、農地委員の選挙は各階層別に二人ずつの選挙立会人を立て、さらに投票場にも会場ごとに各階層から選ばれた立会人を一名ずつ配置して行われた。この時の選挙長は北本宿村助役の木村卯之吉であった。立候補者は小作層が定員八名に対し十五名(推薦(すいせん)七、自薦八)の大量候補を立て、地主層が定員五名に対し六名(推薦五、自薦一)を、同じく自作農が定員三名に対し四名(推薦三、自薦一)を立てて委員の席を激しく争った。埼玉県全体で、無投票農地委員会が小作層で約七十パーセント、自作層で約六十パーセント、地主層でも十パーセント余りも生まれたことからみて、北本宿村の場合はかなりボルテージの高い選挙戦だったといえる。
選挙管理規定や戦いの激しさもさることながら、当事者の経歴審査も個人の身体的特徴のチェックから戦前の軍歴、政治活動歴、とくに大政翼賛会(たいせいよくさんかい)活動の有無、官位等級のすべてにわたって異常と思えるほど厳しく行われた(北本宿 三二六)。こうして選ばれた北本宿村農地委員会は、自作層から選出された小島良吉を委員長に据(す)えて難問山積(なんもんさんせき)の農地改革に向かって動きだした。しかし、間もなく小作層選出委員に理由不明の欠員が生じたため、規定に従って同点の次点者の中から年長者を繰りあげ当選とし、以後の大事業を処理することになった。