北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第1節 戦後自治の発足と村政

指導層の交代を促した公職追放
右のような制度改革とともに、民主化を進めるうえで、無視できない役割を果たしたのは、昭和二十一年一月に占領軍が発した指令「望ましからぬ人物の公職よりの罷免(ひめん)排除に関する覚書」、いわゆる公職追放令であった。同指令にいう「望ましからぬ人物」とは、軍国主義者・超国家主義者を指すが、政府や陸海軍の高官のみならず、末端の市町村の役職者までもその対象とされたため、地方政治に少なからぬ影響を及ぼした。
同覚書は付属書A号において、罷免・排除すべき対象をA~G項に分類し、そのB項に職業軍人、D項には大政翼賛会(たいせいよくさんかい)などの関係者、E項には軍国主義者・超国家主義者をあげていた。市町村における追放該当者は、この三つの項目に抵触(ていしょく)するものが多かったが、最も影響の大きかったのはD項であった。大政翼賛会の市町村支部長(ほとんど市町村長が兼任)や翼賛青壮年団支部長、在郷軍人会支部長にまで及んだためである。このような公職追放令によって、戦時中の市町村長は一斉に退任を余儀なくされ、北本宿村においても村長田島忠夫が辞任した。そのため昭和二十一年十月から二十二年四月までの六か月間、初の公選村長として木村卯之吉が選出されるまで村長が不在となり、新井大ー、次いで木村卯之吉が村長代理助役を勤めた。
公職追放はその後間もなく解除され始め、講和条約発効とともに廃止されたが、折からの農地改革による地主層の没落と重なり、いわゆる「白い手の地主」(不耕作地主)に代わって「黒い手の地主」(耕作地主・自作農)が町村の新しい指導層として台頭した。数年間の公職追放によって指導的立場を失ったり、社会的活動に終止符を打たれた旧地主もいたが、こうした有無をいわせぬ強硬措置が指導層の交代を促(うなが)し、人的な側面でも民主化の基盤をつくり出した。

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