北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第3節 食糧増産時代の北本

4 元荒川上流土地改良区と中丸耕地

用水不足と水利改良の推進
元荒川上流土地改良区内の水利状況は、水量的には概して恵まれていたが、水路の位置と形状に欠陥があって通水が速やかでないこと、地盤が悪く漏水(ろうすい)が多かったことなどから、北本のような用水末流部では、通水期間中に藻刈り(もがり)や番水制(順番取水)をとらざるを得ない事態にしばしば見舞われてきた。とりわけ幹線の酒巻(さかまき)導水路は、昭和十一年の竣工(しゅんこう)以来、軟弱地盤と急勾配(きゅうこうばい)のため水路床の洗掘と両岸の崩落(ほうらく)がひどく、通水能力を著しく阻害(そがい)していた。
こうした状況を打開し、生産収量の增加を図るべく、昭和三十一年、大規模な用水改良が試みられた。このときの改良事業は、酒巻導水路(二三九五メートル)を三面舗装とし、水行の便を高めるために五か年計画、総事業費三五二〇万円で取り組まれた。酒巻導水路の改修で水利事情は一応の安定期をむかえるが、間もなく、早生種(わせしゅ)の普及と土・日曜日植付農家の増加により、上下流で用水の同時需要が発生したこと、これに陸田用水量の増加が加わって、見沼代用水(みぬまだいようすい)地域と同様に、全域的な水不足問題が進行した。
そこで土地改良区は、利根大堰(とねおおぜき)の完成を目前に控えた昭和四十二年十月に理事会を開き、酒巻頭首エの改築を議決した(北本宿 三七七)。この席上、県河川課の係官から「利根大堰ができれば水事情は好転する。あえて今、二〇〇〇万円もの無駄銭をだすことはない」という意見も出されたが、改良区としては「大堰ができても技術上、毎秒〇.八トンが不足する。 取水権があるうちに工事をした方がよい」という観点から、改良工事に踏み切ったわけである。河床(かしょう)低下に伴う樋管(ひかん)取入口の引き下げ改修工事は、翌四十三年に実施され、年度内に終了した。
全般的水不足の中で、用水末流部の北本はとくに干害がひどく、このため、昭和四十二年九月、宮内一区・二区、古市場の髏民たちは、町当局への陳情書の提出に及んだ。これによると、「ここ数年来、全く水は絶え、工場或いは残水により辛うじて植付を実施している実情にあります。特に昭和四十二年の異常旱魃(かんばつ)には北本町ほか一市二町一村衛生組合より取水し、北本町内五工場より緊急放水と、共同作業により植付を完了した。この体験から、もはや流水による作付は期待できないとの結論に達した。」そこで、「約二十ヘクタールの灌漑(かんがい)用水確保のため早急に灌漑用井戸設置方の陳情に及ぶ次第であります。」ということになった。
町当局もこの陳情を受けて、直ちに元荒川上流土地改良区に陳情し、地元負担金一〇〇万円を条件に深井戸掘削(くっさく)の約定(やくじょ)をとりつける。こうして、昭和三十九年設置の花ノ木揚水機場と、昭和四十三年設置の宮内揚水機場により、当面の用水問題は解決をみることになる(現代No.七十五)。なお、平成二年、用水問題の根本的解決を目指して、新谷田用水は三面舗装(さんめんほそう)となり、ここに近代的用水路として生まれかわることになった。

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