北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第1節 戦後自治の発足と村政

膨脹する戦後財政
地方自治を定着させ、それを生き生きと機能させるためには、何よりも財政の裏づけが必要であった。しかし敗戦に伴う社会の混乱、同時に始まった激しいインフレーションによって、昭和二十年の物価は二十一年には六倍、二十二年には二十倍、二十五年には八十倍にも上昇し、自治体の財政運営をほとんど不可能にしていた。歳出増大のおもな原因は、人件費(議員・委員の報酬(ほうしゅう)、職員の給料および諸手当)が急膨脹したためで、インフレによって生活費が高騰(こうとう)し、敗戦から二十一年末までの一年半だけでも、五回も給与改訂を行わなければならなかった。そのうえに財政能力をはるかに超えた六三制教育の実施、さらに社会保障などの行政事務が次々に自治体に下ろされ、一層歳出を増大させたのである。
これを表1によってみると、昭和二十年度当初予算に対して翌年の最終更正予算は約五倍となり、さらに二十二年度末には約二十倍、二十三年度末約五十五倍、そして二十四年度末にはなんと一一二倍にまで増大した。このような歳出増大に対して、地方分与税が増額され、自治制施行に伴って政府と県から下ろされた行政事務に対して補助金が交付されたが、到底支出に見合う額ではなかった。そこで各自治体とも、県税のすべてに付加税を課し、さまざまな独立税を設けて歳入の増加をはかった。独立税として畳税(余裕住宅税)、庭園税、ラジオ・ミシン税、牛馬出産税、柴薪税などのほか、独身税(男十八歳、女十六歳以上)や妾税までも検討され、そのなかのあるものは実施されたのである。北本宿村もその例外ではなく、牛馬、扇風機、ミシン、接客人、使用人、余裕住宅税など、課税が広範(こうはん)に及び、しかも税率は連続的に引きあげられていった。表2にそれを示す。
表1 歳出予算と人件費
総 額人 件 費
(円)(円)(%)
昭和20年度当初予算140,64768,579(48.8)
21当初予算150,00093,890(62. 6)
更正予算708,621314,691(44.4)
22当初予算859,986158,931(39.7)
更正予算2,810,5401,116,896(18. 5)
23当初予算3,694,4561,218,900(33. 0)
更正予算7,662,8752,780,437(36.3)
24当初予算8,988,5083,648,760(40.6)
更正予算15,703,8634,042,860(25.7)

注1:人件費は会議費、役場費、教育費、厚生費、勧業費、警防費中の職員給料、議員報酬、委員手当の合計額。
 2:選挙費、統計調査費中にも手当があるが、年度による差が大きいため省略した。
    (各年度北本宿村歳出予算、同補正予算より作成)


表2 北本宿村における独立税の税目と課税標準の変化      (単位:円、広告税の一部は料金に対する割合)
税目改正年月日
課税標準
昭和21
12.12
昭和22昭和22
10.1
昭和23
11.5
自転車税普通自転車1輛94860180
荷台自転車1輛5.43678300
荷車税荷 台 車 1台 48180
牛 馬 車 1台 30180180540
荷積牽引車 1台 303090270
荷 植 車 1台 48120
荷 積 小 車 1台5.45.43030
金庫税外法0.3立方米まで1個151572240
外法0.3立方米を増す毎に1.81.8924
畜産税牛   1頭 240
馬   1頭200
扇風機税1台6060
犬 税1頭2424120120
広告税交通機関による広告料金 30/10030/100
入場券による広告料金 30/10030/100
立看板等による広告1個 515
建植看板等による広告1個 3096
電柱等による広告1件 5030
そ の 他1件30100
接客人税芸   者1人150
ダ ン サー1人75
そ の 他1人35
使用人税1人300
余裕住宅税10畳以(ママ)内1畳15
10畳以    上1畳5
ミシン税(除営業用)1台240

注1:昭和23.1.22、昭和24.10.14にも、若干の改訂が行われたが省略した。
 2:各年度途中の改正税率は、いずれも年度当初にさかのぼって実施されている。
 3:自転車税のうち、人の運搬専用の荷台自転車には別途に税率が規定されているが省略した。また接客人税・使用人税は月額である。
 (各年度北本宿村税条例より作成)


このようにして年度当初に予算を編成しても、急激なインフレによって増大する人件費の支出でたちまち破綻(はたん)し、借入によって追加予算を組んでは急場をしのぐ状態であった。このため「やりくり財政」というだけでは片付けられない借入れが行われることになる。次にそれを示す。
議案第二十六号
一時借入金を為すの件
昭和二十四年度北本宿村学校建設特別会計予算内の支出を為す為、以下の方法に依り一時借入金を為すものとす
昭和二十四年五月二十七日提出

北本宿村長 伊 藤 亮 賢



一、借入金額         金弐百万円以内
一、借入先          埼玉銀行北本宿支店及埼玉県恩給組合
一、利息定率         日歩弐銭八厘以内
一、借入期限         昭和二十四年六月一日
一、償還(しょうかん)期限  昭和二十五年三月三十一日、但し財政上の都合に依り繰上又は分割償還することを得

(北本宿村村議会会議録自昭和二十四年至昭和二十七年より引用)


以上の借入金は議案書に記載されているとおり、新制中学校の建設費で、同年度予算の約二十パーセントにあたり、その額がいかに大きかったかがわかる。特筆すべきは、これがほとんど村民の寄付金によって償還されたことである。しかも寄付とは篤志(とくし)寄付ではなく、割当寄付、つまり実質的な増税分として徴収されたものだったが、これなくしては窮迫(きゅうはく)した財政下での中学校建設も、六三制教育の発足もあり得なかったのである。

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