北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第6節 混乱期の社会生活

1 混乱期の社会生活

混乱期の社会生活
太平洋戦争の敗戦は、日本国民に精神的衝擎を与えるとともに、苦難の道を強(し)いるものでもあった。食糧不足、インフレーションの激化は、予想されたものとはいえ、それをはるかに上回る勢いで国民の生活に襲いかかった。しかし、多くの日本国民は非常事態を大変なたくましさで乗り切り、のちの高度経済成長につなげるのである。
食料は配給(はいきゅう)制度がとられていたが、配給の遅れや欠配がしばしばであり、しかも、配給量も十分ではなく、必然的に、買出しや闇市(やみいち)での売買が横行(おうこう)した。買出しは多くの場合、農家で衣類と交換に穀物類などを求める形がとられた。大切にしていた着物をかかえ、屋根まですし詰めの列車に乗って農村を訪ねては、いも、麦、米などと交換するのである。しかし、買出しは当時の統制経済下では、しばしば警察の取締りをうけ、断腸(だんちょう)の思いで交換した食料を、駅で取締りを行う警察に没収されることも多かった。北本は、さつまいもの産地として有名であったことから多くの人たちが東京、県南方面から高崎線で買出しにきた。新聞でもしばしば取り上げられたが、そのうちの一つの例をあげておきたい。
北本宿のいもの買い出し
 一と室幾何で買約千人の買出しが入込む
まず予備知識を得るため北本宿駅通路に飛び込み買出の模様をきくと駅員はかわるがわる”いもの買出しはこの駅のなやみの種です”昨年のとれ秋には日に千名に近い買出しが最低五貫目、多いのは二俵位持って乗り込むので整理のつけようがなかった。いまなお日に三、四十人がかついで行きます”よくもこんなに農家にあると思う位です、こんなに買出されては北本宿村のいもが全部なくなってしまうのではないかと他人ごとながら気になります””最近の買出人はほとんど商買人(売カ)農家と特約してあるのか、買って来るのが早く次の列車にはたんまりかついで乗ります”

(『市史現代』NO一一五より引用)


また、緊急に生活の援護を必要とされる人も多かったため、要援護者に住宅の提供、授産施設建設などの援護事業が行われた。北本でも、昭和二十一年三月に授産施設が設置された。同二十五年に補助金をうけて施設は授産所として拡充され、要援護者たちはわら工品製作などの作業に従事し、生活の立て直しに努めた。

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