北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第6節 混乱期の社会生活

1 混乱期の社会生活

キャスリン台風の襲来
戦後復興もままならぬ昭和二十二年九月、関東地方を猛烈な台風が襲った。のちにキャスリン台風と名づけられたこの台風は、関東地方に未曾有(みぞう)の被害をもたらした。
台風は九月十四日夜から翌朝にかけて房総(ぼうそう)沖を通過し、三陸(さんりく)沖に去ったが、台風のもたらした豪雨により関東各地の河川は氾濫(はんらん)し、大洪水となって住民の生活を混乱させることとなった。特に、関東地方では中心河川である利根川、荒川の堤防決潰(けっかい)による被害が大きく、両河川の流域にある埼玉県の被害は甚大であった。
各地の消防団員、水防団員が必死の水防作業を続ける中、荒川では熊谷市久下(くげ)の堤防が翌十五日午後八時決潰した。このため濁流が一挙に押しよせ、一時間後、下流の田間宮(たまみや)村(現鴻巣市)の堤防が九〇メートルにわたり決潰した。濁流は吹上、小谷(こや)(現吹上町)を襲い、さらに箕田(みだ)、笠原、常光(じょうこう)(以上現鴻巣市)、加納(現桶川市)、北本に及び、北本では東部の地域で洪水の被害が生じた。
台風による被害は荒川が決潰した田間宮村で大きかったが、北本でも一名の死亡者があり、床上浸水六戸、床下浸水三戸、罹災人は六五名にのぼった。畑も約一〇反が洪水の被害をうけた。
このため、鴻巣町(現鴻巣市)を中心として水害対策本部に対し次のような陳情を行い、決潰した堤防の早期復旧エ事を要望した。
昭和二十二年十月 キャサリン台風につき北足立鴻巣町外三か村陳情
請願書
去る九月の豪雨に次ぐ大洪水の為(た)め、本郡北部各町村の被害頗(すこぶ)る甚大でありまして其の惨状誠に想像以上であります。殊に宮地(みやじ)堤の一部決潰(けっかい)のため、鴻巣地内百余町歩の田畑を始め常光村北本宿村加納村の数百町歩に及ぶ豊禳たる美田を一朝にして濁水の狂奔(きょうほん)に委(ゆだ)ねたることは、遣憾(いかん)の極みであります。然して右宮地堤の復旧改修は今後の災害を未然に防ぐ上から焦眉(しょうび)の急を要するところ此処に関係町村長連署の上請願せし次第であります。
何卒右事情御推察の上改修費に対し格段の補助を仰ぎ度く、可然(しかるべく)御詮議の上早急水防工事に着手し得る様懇願致します。 (『市史現代』NO一三一より引用)

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