北本市史 通史編 現代

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 現代

第1章 戦後復興期の北本

第7節 民主化される教育

2 教育制度の民主化

教育基本法の制定
教育刷新委員会の第一回建議は昭和二十一年十二月二十七日に行われた。それは教育の理念及び教育基本法の制定に関する建議であった。「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。(第一条)」で始まる教育基本法は、教育刷新委員会の建議が中心となって成立したものである。従来の教育法令が勅令(ちょくれい)であったのに対し、議会で審議され、成立したという制定過程は画期的であった。衆議院での本会議において同法提案の理由が説明されている。その一部を抜すいしてみたい。
教育基本法提案理由(抜すい)
民主的で平和的な国家再建の基礎を確立いたしまするがために、さきに憲法の画期的な改正が行われたのでありまして、これによりまして、ひとまず民主主義、平和主義の政治的、法律的の基礎がつくられたのであります。しかしながらこの基礎の上に立って、真に民主的で文化的な国家の建設を完成いたしまするとともに、世界の平和に寄与いたしますること、すなわち立派な内容を充実させますることは、国民の今後の不断の努力にまたなければなりません。そうしてこのことは、一にかかって教育の力にあると申しましても、あえて過言ではないと考えるのであります。かくのごとき目的の達成のためには、この際教育の根本的刷新を断行いたしまするとともに、その普及徹底を期することが、何よりも肝要でございます。

教育基本法は昭和二十二年三月三十一日公布、施行され、日本の戦後の教育の柱となるものであった。
なお、戦前の教育の支柱であった教育勅語(ちょくご)は、憲法、教育基本法制定後になってようやく排除されることとなった。二十三年六月十九日、衆議院で「教育勅語等排除に関する決議」を行い、参議院でも同日、「教育勅語等の失効確認に関する決議」が行われた。

<< 前のページに戻る