北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第7節 民主化される教育

2 教育制度の民主化

学校教育法の制定と六三制の開始
教育刷新(さっしん)委員会の第一回建議の第二は学制に関することであった。その中の「国民学校初等科に続く教育機関について」では、次のようにふれられていた。
  • 国民の基礎教育を拡充するため、修業年限三ヶ年の中学校(仮称)を置くこと。
  • 右の中学校は、義務制とすること。全日制とすること。男女共学にすること。
  • 校舎は、独立校舎とすること。
  • 各市町村に設置すること。
  • 教育の機会均等の趣旨(しゅし)を徹底させるため、国民学校初等科に続く学校としては、右の中学校のみとすること。
  • 右の中学校制度は、昭和二二年四月から、これを実施すること。
学校教育法も、アメリカ教育使節団報告書、教育刷新委員会のこの建議がもととなって制定されるが、ここでも議会での同法提案理由を抜すいしてみよう。
学校教育法提案理由(抜すい)
第一に、教育の機会均等の見地から考えて、従来の学制においては、国民学校の初等科六年を修了して、国民学校高等科及び青年学校に進む者と、中等学校を経て、高等学校、専門学校に進む者との、二つの体系に截然(せつぜん)と区別せられており、前者は国民学校初等科修了者の七割五分を占めているが、彼らには、能力があっても、高等教育を受ける機会がほとんど与えられていない実情である。この点改正憲法に規定している、能力に応じてひとしく教育を受け得るという教育の機会均等が保障せられず、また高等教育を受ける希望を失うために、国民学校高等科及び青年学校の教育そのものも効果をあげ得ないのである。
第二に、普通教育の普及向上と男女の差別撤廃についていうと、公民たるの資質を啓発して、文化国家建設の根基を培うことは、文化国家建設を中外に標榜(ひょうぼう)するわが国の当然の責務である。このため義務教育の年限を九箇年に延長するとともに、その範囲を拡充して、盲聾啞(もうろうあ)、不具者にもひとしく普通教育の普及徹底をはかりたい。(略)
第三に、学制を単純化することについては、従来の国民学校、青年学校、中学校、高等女学校、実業学校、師範(しはん)学校、専門学校、高等学校、大学など、複雜多岐な学制を単純化して、心身の発達の段階に応じて、原則として六・三・三・四の小学校、中学校、高等学校、大学とした。

学校教育法は教育基本法と同じ昭和二十二年三月三十一日公布、施行されたが、これにより複雜だった学校体系がきわめて単純化された。従来の国民学校は、六年間の小学校、三年間の中学校となり、合わせて九年間の義務教育がはじまった。翌四月一日、新制小学校、新制中学校が発足したが、その後の道のりは決して平坦なものではなかった。教室不足の問題、財政難の中の中学校建設の問題、教員確保の問題など難問が待ちうけており、「六三制は首長の命取り」と言われる苦難の時代が始まるのである。


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