北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第2節 町村合併と三十年代の村政

1 町村合併をめぐる動き

県が示した七か町村合併
町村合併促進法は昭和二十八年に成立し、三か年の時限立法として施行された。同法に従って昭和二十九年二月、埼玉県では合併議案を作成し、町村合併促進審議会の諮問(しもん)・答申を経て、各市町村にそれを示した。次に、まず議案作成の基本方針を示す。
1 町村の標準人口は八〇〇〇人とされているが、(中略)できるだけ規模を大きくすること。
2 (前略)地勢、交通、経済、文化の発達、行政の進展等に応ずるとともに、単に個々の町村の利害やゆきがかり等にとらわれることなく、客観的立場から考慮(こうりょ)すること。
3 (前略)各町村の住民の人情、風俗、習慣等が類似(るいじ)し、(中略)将来一つの協同社会として自治意識を醸成(じょうせい)することができるものであること。(以下略) (県行政文書 昭八・七三七より引用)
以上の方針に基づく議案の大要は、県下三一四か町村のうち、二十七か町村を既存の市へ編入し、残る二八七か町村を合併によって七十三か町村とする。北足立郡においては四十六か町村のうち、既存の市へ編入するもの三か町村、残る四十三か町村を十一か町村に編成しようとするものであり、北本宿村周辺町村の合併案は次のようであった。
1 平方(ひらかた)町・大谷村・原市町・上平(かみひら)村・大石村(以上現上尾市)、川田谷村・桶川町・加納村(以上現桶川市)、伊奈村(現伊奈町)
人口五万九四九五人、面植八十五.九〇平方キロメートル
2 常光村・鴻巣町・馬室村・田間宮(たまみや)村・箕田(みだ)村(以上現鴻巣市)・北本宿村
人口四万六八九人、面積四十八.八〇平方キロメートル
以上の試案によれば、埼玉県の町村数は約五分の一に減少する。これは政府が基本計画で目標とした三分の一をかなり上回るものであり、「できるだけ規模を大きくする」という県審議会の方針を具現(ぐげん)したものといえよう。しかし地勢、交通、経済、文化等の実情に即したものだったかどうか。これを無視する市町村が多く、この試案とはかなり異なった合併の結果に終わったことをみれば、検討すべき余地が多く、拙速(せっそく)に過ぎた試案だったことは否定できない。

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