北本市史 通史編 現代

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 現代

第1章 戦後復興期の北本

第2節 町村合併と三十年代の村政

1 町村合併をめぐる動き

逆コ—スの中の町村合供
シャウプ勧告は、税制改革とともに中央と地方の事務の配分について、次の三原則を示していた。
1 国・都道府県・市町村の三段階の行政事務を明確に区別して、それぞれに特定の事務を割り当てること。(行政責任の明確化の原則)
2 行政事務を能率的に行うため、その規模・能力・財政力に応じて割り当てること。(能率主義の原則)
3 市町村に第一の優先権を与えること。(市町村優先の原則)
第三の原則に従って市町村に優先的に事務を配分すれば、当然市町村の事務量は増加する。それを能率的に処理する能力をもつために、合併によって小規模行政を克服すべきだ、とも勧告した。勧告をうけた政府は、地方行政委員会をつくり、事務の再配分について諮問(しもん)した。昭和二十五年十月、同委員会は地方公共団体の規模について、「規模の著しく小さい町村については、おおむね人口七~八千人程度を標準として(中略)規模の合理化を図るべきである」と答申した。
これを基に、町村合併促進法の作成が始まった。しかし昭和二十七年に講和(こうわ)条約が調印され、民主化に逆行する動き、つまり逆コースと呼ばれる動きがあらわになり、戦後の諸制度の見直しがすすむ時期と重なった。すなわち昭和二十六年に政令諮問委員会は講和条約の成立を見越して、「占領政策の行き過ぎ是正」を方針に、諸制度の見直しを行い、(一)簡素で能率的な行政制度、(二)財政力に応じた行政機構の整備、などを答申していた。この翌年行われた地方自治法の第四次改正は、同答申を受けたものであり、そのなかで第八条の二が追加され、知事は「市町村の廃置分合(はいちぶんごう)または境界変更を定め、関係市町村に勧告できる」ようになった。それまで、市町村の統廃合は関係市町村の申請によってのみ可能であったが、知事の勧告権はそれを上から進めることを可能にしたもので、これが昭和の大合併への布石となった。
小規模町村の乱立が近代社会に適応せず、脆弱(ぜいじゃく)な財政力では豊かな市民生活に応え得ないことはいうまでもない。しかし昭和の合併が占領政策の是正という名の逆コースの一環として行われたために、「民主化」や「地方自治」が後退し、政府にとっての「合理化・能率化・簡素化」を反映したものとなったことは当然であった。こうして合併の端緒(たんちょ)となったシャウプ勧告の理念とは反対に、自治を失っていく始まりとなった。

<< 前のページに戻る