北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第2節 北本市の発足と市政の展開

1 北本市の発足

強かった北本支持
新市名を北本市とする会の運動に加えて、公社第一・第三南北自治会有志の『署名協力の訴え』(現代No.四十九)や、北本市実現協力会の『北本市実現が町民の希い』と題するチラシ配布など、各所で同時多発的に起こったことからすれば、単に反対の署名が多かったというだけではなく、積極的なより強い反対だったといえよう。
では、何故これほど強い反対運動の高まりをみせたのか。その原因の一つに、解脱会の判断に誤りのあったことは否定できまい。同会は『町民の皆様へ』と題するチラシに、解脱市を推す理由を次のように述べる。
解脱とは、けっして一教団の名称でも占有物でもなく、人類共有財産的言葉です。(中略)
「げだつ市」という名称は、この町が理想郷として、この地に住む人々の上に平和と幸福の光が輝くという希望を託すもので、住む人の誇り、聞く人のせん望の名として、全国に類のない素晴らしい市名となります。

さらに続けて、次のようにも述べる。
「げだつ市」となることは信教の自由の侵害ではありません。もちろん、各人の信仰は自由であります。(中略)解脱会としては、会祖が町へ奉仕はしましたが町政にはいっさい口を出さなかったように、町政に干渉することは、いままでもなかったし、今後も絶対にありません。(下略)

ここに述べられていることは、そのとおりであろう。しかし長年親しまれ、とくに町制施行時に投票まで行った末に決定した経緯からも、深く定着していた「北本」の地名を変えるのには説得力を欠いていた。確かに伊勢(いせ)・天理(てんり)・金光(こんこう)などの例があり、企業名を市名にした例もあるが、これらの都市は門前町あるいは企業城下町と呼ばれ、住民は生活の多くを寺社や親企業に依存し、それなくしてはそもそも存立し得なかった都市である。これらの都市と北本とは、全く条件が異なることを見落としていた。
そしてまた、解脱市というユニークな市名そのものが、ーーー住む人の誇り、聞く人のせん望の名であるといわれてもーーーユニークなるが故にかえって、親しみやすさ、語呂の響きやイメージの新鮭さ、心地よさ、などにいささか欠けていたように思われる。

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