北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第3節 都市化の進展と農業の変貌

2 都市化と農業の変貌

市街化区域内農地の見直しと生産緑地
市街化区域内での宅地化の進行は、区内農地に対する都市計画的側面からの見直しを迫ることになる。かくして国の施策としての農地保全策つまり生産緑地制度が昭和五十一年に設けられ、市街化区域内の農地は農家の意志によって将来的にも維持することが可能となった。

図22 市街化区域と第一種生産緑地(A農地)

(『北本市資料』より作成)

生産緑地はA・B二種頰の内容からなり、このうち第一種生産緑地(A農地)は市街化区域内に所在し、区画整理事業等の都市的開発の手が加えられていない土地で、指定の要件はおおむね一ヘクタール以上のまとまりをもつ農地であること、ないしは永年性作物(果樹・桑)の栽培地か都市公園隣地で〇.二ヘクタール以上のまとまりを有することとなっている。また、第二種生産緑地(B農地)とはおおむね〇.二ヘクタール以上のまとまりを有し、指定後十年で失効しその延長は十年に限られた土地をいう。
生産緑地制度の発足当初、北本で指定対象となった農地は十一団地で合計十二.四ヘクタール、関係農家数四十二戸であった。十一団地のうち水田が一団地、二.五ヘクタールで、畑が三団地、 五.七ヘクタール、 残りの七団地、四.ニへクタールの大部分は、梨、栗、柿の果樹園である。これに対してB農地は二団地一.六ヘクタールで、栗園と普通畑であった。これらの団地は、図示したように北本駅南東の中山道と十七号国道に狭まれた地区に集中的に分布している。
生産緑地制度が設けられて間もない昭和五十七年に長期営農継続農地制度が発足する。この制度の基本的狙いは生産緑地制度と同じであるが、指定基準は営農継続期間を三年から十年以上の農地に引き上げ、代りに対象面積を九九〇平方メートル以上の農地に引き下げている。もちろん税制上の特典は、宅地並み課税の免除である。昭和五十八年一月の北本での指定面積は一〇六.ニヘクタール、関係農家は三八七戸であったが、その後若干(じゃっかん)減少して、平成三年一月現在、面積が八十八.五ヘクタール、関係農家数三五二戸となっている。
結局、北本を含めた都市農業は、かつての都市住民に対する新鮮な農産物供給空間、都市化予備空間から、新たに都市公園と同様の役割り、つまり緑地空間、オープンスぺースとして都市騒音の吸収緩和(きゅうしゅうかんわ)、大気浄化(じょうか)、田園景観の安らぎ効果、防災・水源機能等々、都市計画的側面から積極的に再評価されることになった。今ここで、私たちは次の言葉に耳を傾けるべきであろう。「大都市が農地を失い、農の心を失ったとき、その都市は間違いなく、滅びの道を歩むことになる」(昭和六十一・六・十四、『朝日新聞』天声人語より)。

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