北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第5節 商業の発展と商店街の再編成

1 大型店の進出と地域商業への影響

商業環境と地区別商業集積状況
商業活動の基盤となる北本の人口は、高度経済成長の初期段階から安定成長期にかかる昭和三十四年以降五十四年までの間に、一万五三〇〇人から五万二八二人へと約三倍に膨張(ぼうちょう)した(表38)。人口増加の推移は昭和四十年代にピークがあり、この間、年々二〇〇〇~三〇〇〇人の社会増を中心とする増加が続いた。とくに四十六年から四十七年にかけては、北本団地への入居が行われたため、いっきょに六〇〇〇人近い増加となった。
大量の社会増人口を抱え込んだ北本は、かつての農業主体型の就業構造から、二・三次産業の比率の高い都市的就業構造となり、昭和五十年の国勢調査時点では第一次・第二次・第三次産業の就業比は、一対六対七という大きな開きを示すに至った。昭和五十四年現在、人口密度二五六八人(一平方キロメ —トル当たり)、人口総数五万人を超える人たちが高崎線を軸とする長方形の市街化区域とその後背に広がる市街化調整区域に、それぞれ混住化社会をつくり出している。
こうした人口配置に対して市内バス路線網の発達はきわめて貧弱で、中山道を通る大宮(宮原)ーーー鴻巣線が平日で二七本、北本駅西口ーー——石戸ーーー桶川駅東口が同じく八本、北本駅西口ーーー北本団地が同じく三九本、北本駅西口ーーー栄小学校が同じく 一五本にすぎなかった。とくに北本駅東口に鉄道ならびに中心商店街を利用する人たちの居住地域へのバス路線網がないこと、中山道路線が駅東口に直結しないこと、駅西口のバス路線も植民地鉄道的な直線型が多く、網目状路線を形成するには程遠い状況であることなど問題点は多い。
昭和五十四年当時の小売業の地区別集積状況を『北本市商業環境調査報告書』(昭和五十六年)からみると図27のようになる。人口分布率を売場面積率が上回る地区を、商業活動上の顧客吸収力が大きい地区として考察すると、Eブロックの北本駅東口周辺市街化区域とAブロックの駅西口周辺市街化区域が、市域の商業中心地の性格を示している。その他のプロックはすべて顧客(こきゃく)流出型の地区となっている。しかもAブロックは街区形成の面では伝統のあるEプロックに劣るが、後背地域の発展、交通体系の整備、後発商業地区の有利性などを利用して、急速に近代的な街区を形成しつつある。とりわけ昭和五十五年の忠実屋の進出によって、Aブロックの売場面積は一万九五四〇平方メートルを超え、Eブロックを上回る中心商業地区の傾向を強めている。

図26 北本の商業規模の推移

(『商業統計』より作成)

図27 小売業のブロック別売場面積率(昭和54年)

(『北本市商業環境調査報告』より作成)




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