北本市史 通史編 現代
第2章 都市化から安定成長へ
第6節 都市化と変貌する北本
3 衛生施設の近代化と福祉活動
ごみ問題の深刻化世帯数の増加、人口の増加は当然のようにごみ処理の問題をひき起こすことになった。ごみの問題は、単にごみの量が多くなったという単純なことではなく、生活の近代化や消費の高度化に伴うごみの質的変化をも考えなくてはならないことを含んでいた。表45を見てもわかるように、ごみ収集量は昭和四十年以降毎年のように急増している。また、プラスチック、缶、ビンなどの処理も問題となった。そのため市 では、市民に対してごみを出す際に市指定の袋を使用することと、ごみを種類別に整理して出すという要請を五十三年に行ったが徹底しなかった。
ごみの量は昭和五十五年時で一日平均三〇トンを収集しなければならない状態となり、埋立て方式の処理では限界に達していた。市ではこれらの問題に対処するため、再利用できるものは資源として回収する方式を五十五年から実施する一方、すでに五十二年に、鴻巣市・吉見町と共同して埼玉中部環境保全組合を設立して、清掃工場建設の検討をはじめていた。同組合の清掃工場は、吉見町内に五十六年から建設がはじまり、三年後の五十九年四月から環境センターとして業務を懐紙下。同センターでは燃えるごみの焼却処分を行い、それまで埋め立てに頼っていたごみ処理を衛生的に行うことができるようになった。また、このことに伴って、ごみの収集コースも現在のように高崎線東側、西側のニコースに分けられた。しかし、ごみ処理の問題はこれで解決されたわけではなく、人口増による量の増加、経済成長による質的に新しい種類のごみの増加、さらに産業廃棄物の処理問題など次々に難問が生じており、地球環境の維持という面からも行政がどのように対応していくかが問われている現状である。
表45 じん芥処理状況
項目 年度 | 収集量(t) | 終 末 処 理 | 1日平均収集量(t) | 資源回収(t) | |
---|---|---|---|---|---|
燃去(t) | 埋立(t) | ||||
昭和40年 | 3, 492 | 3,492 | 9.6 | ||
41 | 3, 939 | 3,939 | 10.8 | ||
42 | 4, 672 | 4,672 | 12.8 | ||
43 | 5,165 | 5,165 | 14.2 | ||
44 | 5.696 | 5,696 | 15.6 | ||
45 | 6,375 | 6,375 | 17.5 | ||
46 | 6,942 | 6,942 | 19.0 | ||
47 | 8, 393 | 23.0 | |||
48 | 9,432 | 25.8 | |||
49 | 10,125 | 27.8 | |||
50 | 10, 897 | 29.8 | |||
51 | 10,637 | 29.1 | |||
52 | 11,636 | 31.8 | |||
53 | 12,596 | 34.5 | |||
54 | 12,263 | 33.5 | |||
55 | 10,967 | 30.0 | 112 | ||
56 | 11,820 | 32.4 | 261 | ||
57 | 13,513 | 37.0 | 368 | ||
58 | 12,338 | 1,993 | 10,345 | 33.8 | 621 |
(『北本の統計』より作成)