北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第6節 都市化と変貌する北本

4 都市化と交通問題

混雑する高崎線
北本を通る唯一の鉄道である高崎線は、人口増加に伴い、混雑度を増してきた。表47に見るように、北本駅利用者数は昭和三十年代後半以降の人口増とちょうど見合うように増加している。昭和四十年を一〇〇とすると、四十六年には一五〇を超え、四十九年には二〇〇を超えている。つまり、一〇年間で乗車人数が二倍を超えるという急増ぶりを示している。このような状況は北本だけではなく、高崎線沿線の各駅にも共通して見られた。
表47 北本駅利用乗客数  (高崎線)
乗客数
年度
年間乗客数1日平均乗客数
総数(人)総数(人)
昭和33年1,217,7113,336
341,372,7703,761
351,512,8504,145
361,567,7304,295
371,691,0694,633
381,853,2085( 077
392,106,5485,771
402,302,8356,309
412,568,8267,038
422,715,4197,419
432,951,7598,087
443,190,0048,740
453,363,4689,216
463,746,42410,236
474,450,27212,192
484,566,60612,513
494,751,37513,017
504,728,09712,954
514,916,72713,470
524,949,92413,561
535,012,48613,733
545,160,91814,101
555,319,06614,573
565,474,90915,000
575,613,67015,380
585,787,93215,857

(『町勢要覧』『市勢要覧』より作成)


写真62 緑の中を走る高崎線

昭和62年 下石戸下付近
武蔵野の自然の中を、満員の通勤客を乗せて走る。貴重な緑は残したい。

高崎線利用者の増加は大変激しかったため、本数の増発をするか、あるいは京浜東北線を延長運転するかしなければ対応できない状態となった。京浜東北線の延長運転は、高崎線沿線住民の悲願でもあり、しばしば陳情されたが実現されず、本数の増発も、大宮以南が東北本線とレールを共通に使用することによる限界があった。そのため、乗客数の増加は十分カバーされず、通勤客は毎日すし詰めの通勤地獄を味わっているのである。昭和四十七年、当時の国鉄の順法闘争(じゅんぽうとうそう)のさなか、上尾駅で乗客が騒動(そうどう)を起こした、いわゆる上尾事件が発生した。事件の直接的な原因は順法闘争による電車運行の遅れであったが、一面では、毎日の通勤地獄への不満の爆発でもあった。
その後も混雜はますます増すばかりであり、ダイヤ改正ごとの本線増発も利用客の増加には追いつかず、上尾・宮原駅では電車に乗りきれない通勤客も出るほどである。
高崎線から見える風景も住宅建設の増加に伴い年々変貌(へんぼう)している。かつて下り電車が桶川から北本に入ると、僅かに残された武蔵野の自然を緑のトンネル通っているように感じることができ、沿線でも緑の豊富な地帯として有名であり、満員電車の乗客の心をなぐさめる貴重なオアシスでもあった。しかし、都市化の進行はここにも及び、北本の変貌(へんぼう)とともに、緑の卜ンネルも年々少なくなりつつある。

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