北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第7節 学校教育の発展と進む社会教育

2 児童・生徒の増加と学校新設

公団の進出による栄小の開校
昭和四十六年に日本住宅公団が北本に大型団地を建設することにともない、団地に居住する児童のための学校を新設することが必要となった。団地が完成すれば二〇〇〇世帯を越える入居があるため、既設の小学校ではまかないきれないことは明らかであった。
前年の四十五年に、北本町長と日本住宅公団との話し合いで、小学校は住宅公団が建設して町が譲(ゆず)り受けるということが決まっており、建設資金一億二九七五万円のうち八七五〇万円を公団が立て替え、町がそれを償還(しょうかん)するという計画で進められた。
しかし、着工直前になり大きな問題が生じた。建設予定の校舎が四階建で一五・三メートルの高さに及び、しかも西端の住宅との境界まで五・ニメートルしか距離がないため、日照権(にっしょうけん)やプライバシーの保護を求めて関係住民から町長に対して四十六年二月次のような要望が行われたのである。
公団敷地内の小学校建設に伴う地元民の日照権に関する要望書(抜すい)
私たちは、居住地の開発・発展については、喜びとするところであり、協力も惜しまない心積りです。(中略)今回また突然に隣接地点至近距離に鉄筋四階建ての校舎が建造される事が決定されたと聞きました。これが実現しますと
第一に、これから先、数年、数十年のみならず私たちの子孫にいたるまで私たちの居住区が日陰の生活をしなければならなくなります。(中略)
第二に、近い位置から家庭内をのぞかれプライバシーが侵される心配があります。(中略)
以上の事を考慮していただき、再度計画の検討を望むものです。(後略)
要望をうけた町当局では検討の結果、一階から四階までの西側一教室分計四教室分の建築を取り止める変更を行って建設にとりかかった。
完成した栄小は北本団地内の児童を対象として昭和四十六年十月開校したが、当時は団地への入居が完了していなかったため二八名の児童でスタートすることとなった。内訳は一、二年は各一クラス、三年と四年は一クラスの複式授業、五年と六年も一クラスの複式授業形態で、計四クラス編成、教員八名の構成であった。





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