北本市史 通史編 現代
第2章 都市化から安定成長へ
第7節 学校教育の発展と進む社会教育
2 児童・生徒の増加と学校新設
北本中にプ—ル完成表50 北本市内小、中学校体育施設設備経過 (昭和41年~63年)
年代 | 小学校 | 中 学 校 |
---|---|---|
昭和 41年 | 北本中プール | |
45 | 南小プール | |
46 | 石戸小プール 中丸小体育館 | |
47 | 南小体育館 中丸小プール | |
48 | 栄小プール 北小プール | |
49 | 西小体育館 | 東中体育館 |
51 | 栄小体育館 北小体育館 | |
52 | 石戸小体育館 | |
53 | 東小体育館 | 西中体育館 |
西小プール | 東中プール | |
54 | 東小プール | 西中プール |
56 | 北本中体育館 | |
57 | 宮内中プール・体育館 北本中プール改築 | |
63 | 北本中柔剣道場 |
(「北本の教育」より作成)
表50は昭和四十一年以降の北本の小・中学校における体育施設の整備状況をあらわしたものである。四十五年以後はほぼ毎年のように、ブール、体育館が整備され、施設の充実経過をみてとることができる。
昭和四十一年六月、北本中に、市内の小・中学校では初めてのプールが設けられた。当時は町営のプールもない状態で、子供達は夏になると荒川や赤堀川で泳いでいた。しかし、荒川は砂利(じゃり)の乱獲(らんかく)によって川の中にふかみができており、三十八年には四人の水死者を出した。また、赤堀川も汚水や農業用薬剤が流入するなど泳げる状態ではなくなった。そのため両川とも水泳禁止となり、PTAが順番に水泳禁止区域の巡視(じゅんし)をして危険を防止していた。
このような状況のため、夏になっても子供達が安心して水泳できる場所は一つもなかった。したがって、三十九年、町営プール建設が陳情されたのは当然のことであった。陳情を受けた町当局も、昭和四十一年、北本中にプール建設を決定した。プール建設を必要とする理由書の中では、建設の目的を次のように述べている。
水泳プール建設の目的
事故を未然に防ぎ、水泳や水遊びから児童、生徒及び住民の尊い人命を守ると同時に、身体のあらゆる機能を伸ぱし、健全なる精神、健康な身体の人間育成を目的とする。
尚、地域住民の永年にわたる、建設の熱烈な要望にこたえたい。
昭和四一年六月一〇日
事故を未然に防ぎ、水泳や水遊びから児童、生徒及び住民の尊い人命を守ると同時に、身体のあらゆる機能を伸ぱし、健全なる精神、健康な身体の人間育成を目的とする。
尚、地域住民の永年にわたる、建設の熱烈な要望にこたえたい。
昭和四一年六月一〇日
(『市史現代』NO. 一七二より引用)
同年八月から泳げるようになった北本中プールは、北本の小・中学校唯一のプールとして、小学生、中学生に幅広く利用され、水難事故防止に大いに貢献(こうけん)することとなった。