北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第1節 町制下の行・財政

2 都市化に対応する行・財政

市街化区域と市街化調整区域
急激な都市化に対応するため、昭和四十三年都市計画新法が制定された。新法は、都市計画とは「都市の健全な発展と秩序ある整備を図るための土地利用、都市施設、町整備及び市街地開発事業に関する計画」(第四条)であるといい、その基本理念は「農林漁業との健全な調和を図りつつ、健康で文化的な都市生活及び機能的な都市生活を確保する」(第二条)ことにあると規定した。新法の目的が、都市周辺の農村もふくめた「秩序ある町づくり」にあることは明らかであり、都市施設の整備・充実、市街地の再開発とともに、広範な土地利用計画を規定した点に最大の特徴があるといえよう。
新都市計画法に従って、昭和四十四年一月に国鉄高崎線沿線一帯(全面積の三十八パ—セント)が用途地域に指定され、次いで翌年八月、埼玉県知事は市街化区域と市街化調整区域を決定した。表19にそれを示したが、この最終決定と町が具申(ぐしん)した素案との間には、若干の差がみられる。町が具申した工業用地は、既存地区の「三菱非鉄金属工場をふくむ約三十九.八ヘクタール、鴻巣市に隣接する三和製鋼をふくむ約ニ十二.五ヘクタール」のほかに、「中仙道の沿線、国鉄高崎線との間にてニッ家地区に約三十六へクタールの工業用地を新たに配置する」(町長発県知事宛具申書)となっていたが、町案のニッ家地区の工業用地指定がはずされたことである。当時、この点については開発審議会においても問題となり、知事との交渉が行われたが、結局工業地区は既存地区の範囲にとどまり、面積の拡大は認められなかった。
表19 土地利用計画による区分
項  目昭和44年昭和45年
面植(ha)比率(%)面積(ha)比率(%)
市街化区域745.038.0
 住 居 地 域544.887.7661.633.7
 商 業 地 域13.92.313.90.7
 準工業地 域22.53.629.71.5
 工 業 地 域39.86.439.8 2.0
市街化調整区域1218.062.0

注 昭和44年は用途地域内の区分別面積及び用途地域指定面積に対する割合。
昭和45年は市街化区域及び市街化調整区域別面積を示し、比率は町面積に対する割合を示す。
 (『北本市総合振興計画書』より引用)

昭和四十四年に決定の用途地域は、住居・商業・工業地域などの土地利用区分を行って、住・商・エの混在を防ぐとともに、それぞれの地域の建築物の種類、面積(建ぺい率)、高さを制限して、快適な生活環境、都市空間をつくろうとするものであった。用途地域の範囲、すなわち全面積の三十八パーセントが翌年市街化区域となったが、その約八十八.八パーセント、全面積の約三十四パーセントが住居地域となり、市街化調整区域は全面積の約六十二パーセントとなった。つまり北本町全体は、都市化を抑制する地域に入ったことになるが、このような線引きは、首都圏整備法に基づく首都圏整備計画(昭和四十四年策定)のなかで、北本が近郊整備地帯(およそ五十~六十キロメートル圏)、つまり広義の緑地帯と位置づけられていたためで、先のニッ家地区の工業用地指定申請が却下(きゃっか)されたのも、同計画によって大枠がきまっていたためであろう。

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