北本市史 資料編 古代・中世

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第1章 古代の武蔵と北本周辺

宝亀四年(七七三)二月十四日
入間郡正倉の焼亡により入間郡司が解任される。

23 太政官符案 
   〔九条家本延喜式裏文書、東京国立博物館蔵〕
太政官符式部省
  応解却武蔵国入間郡司等事
 合焼糒穀ー万五百十三斛五斗
  正倉四宇
右得武蔵国司去年九月廿五日解偁、以去神護景雲三年九月十七日神火着倉、所焼糒穀并正倉如件、即卜占、在祟神者、右大臣宣、奉勅依例施行、但勿絶譜弟(第)物、省宜承知
 参議正四位下行右大弁兼右兵衛督越前守藤原朝臣百川
      左大史正六位上会賀臣真綱
宝亀四年二月十四日
〔読み下し〕
23 太政官符す式部省
  応に解却すべき武蔵国入間郡司等の事
合せて焼くところの糒穀一万五百十三斛五斗
  正倉四宇
右、武蔵国司去んぬる年九月二十五日の解を得るに偁く、去んぬる神護景雲三年九月十七日神火着倉を以て、焼く所の糒穀并びに正倉件の如し、即ち卜占せば、祟り神在りてえれば、右大臣宣す、勅を奉るに例に依り施行せよ、但し譜弟(第)を絶やすなかれ、てえれば、省宜しく承知し
 参議正四位下行右大弁兼右兵衛督越前守藤原朝臣百川
       左大史正六位会賀臣真綱
宝亀四年二月十四日
〔解 説〕
神護景雲三年(七六九)九月十七日、入間郡の出雲伊波比神に対し、国司が幣帛の班給を怠ったため、郡の正倉四宇と糒穀一万五一三石五斗を焼失し、また百姓にも破害があったという事件が起こった。この事件について、宝亀三年(七七二)十二月十九日に太政官が神袛官に対し、天平勝宝七年(七五五)十一月二日の符に基づき、出雲伊波比神に班幣するよう命じている(天理図書館所蔵文書)。史料では火災の原因は、神事的なものととらえられていた。しかし、史料23の宝亀四年二月十四日の太政官符によると、朝廷はこの火災を起こした罪により、入間郡司を解任するように命じており、正倉焼失の原因は放火であったと判断されたのである。このような放火のことを当時「神火」と称した。神火の呼称の由来は、神の怒りに託して官物焼失の責任を逃れるためのものであった。
神火は、八世紀以降頻発するようになるが、その原因には在地豪族間の争いや、郡司などによる稲の虚納隠蔽などが上げられ、神護景雲三年八月の下総国猿嶋郡の正倉焼亡事件もその一環として捕えられる。入間郡の場合は、神火の起こる数年前に武蔵国造の交替がなされ、この地の統率者ともいうべき入間宿彌広成が入間郡を去ったことが、郡内に権力闘争を起こさせ、それが神火の原囚となったものと思われる。

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