北本市史 資料編 古代・中世

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第1章 古代の武蔵と北本周辺

貞観三年(八六一)十一月十六日
群盗の横行により、武蔵国の各郡に検非違使一人が置かれる。

27 日本三代実録 〔新訂増補国史大系〕
十六日丙戌、武蔵国毎郡置検非違使一人、以凶猾成党、群盗満山也
〔読み下し〕
27十六日丙戌、武蔵国の郡ごとに検非違使(けびいし)一人を置く、凶猾党を成し、郡盗山に満つるをもってなり
〔解 説〕
武蔵国では凶猾が集団で悪行をなし、また群盗がはびこったため、郡ごとに一人ずつ検非違使が置かれた。検非違使は、大宝令の制定後に設置された令外の官であり、弘仁元年(八一〇)に左右衛門府に左右検非違使が置かれ、衛門府の官人が兼任したのが始まりである。その後、承和元年(八三四)に左衛門府中に検非違使庁が置かれて独立の機関となった。初期の検非遠使は、京の治安維持を任務としていたが、斉衡二年(八五五)に大和国に置かれたのをはじめとして、諸国の治安維持にもたずさわるようになり、これは京の検非違使と区別して国検非違使と呼ばれた。貞観年中(八五九~八七七)になると、刑部省に代わって訴訟・裁判も行うようになり、権威を有するようになった。貞観三年の武藏国における国検非違使の設置は、畿外の諸国では最も早い例であり、また、各郡一人というのも異例であった。
武蔵国の治安悪化の状況をよく伝えている史料である。

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