北本市史 資料編 古代・中世

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第1章 古代の武蔵と北本周辺

天平十九年(七四七)二月十一日
元興寺の封戸に武蔵国の三〇〇戸があてられる。

8 元興寺(1)伽藍縁起幷流記資財帳(2) 〔醍醐寺(3)蔵〕
(前略)
依牒旨、勘録如前、今具事状、謹以牒上
天平十九年二月十一日 三綱三人
(中略)
合食封(4)一千七百戸、在七ケ国 伊勢百 越前百五十 信乃三百廿五 上総五百 下総二百 常陸二百 武蔵三百温室分田 安居分 三論衆 摂論衆 成実衆 一切経分 灯分 通分 園地幷陸地 幷塩屋 御井 山寺各有其員分、皆略之
〔読み下し〕
(前略)
8 合せて食封一七〇〇戸、七か国に在り、伊勢一〇〇・越前一五〇・信乃三二五・上総五〇〇・下総二〇〇・常陸二〇〇・武蔵三〇〇、温室分田、安居分、三論衆、摂論衆、成実衆、一切経分、灯分、通分、園地ならびに陸地、ならびに塩屋、御井、山寺、おのおのその員分有り、皆これを略す
〔注〕
(1)がんごうじ 飛鳥元興寺の後身で新元興寺ともいう。天平十七年(七四五)完成
(2)元興寺縁起ともいう。奈良元興寺についての古縁起や伽藍縁起に資財帳を合わせたもの、天平十九年(七四七)成立
(3)京都市伏見区醍醐伽藍町にある真言宗醍醐派総本山、貞観十六年(八七四)聖宝の創建
(4)古代の封禄制度。皇族・高位高官・政治的功労者、大寺社などに、一定の地域の郷戸の租の半分と調・庸のすベて、及び仕丁を支給したもの
〔解 説〕
本史料は、この年に作成された元興寺の伽藍縁起資財帳で、武蔵など坂東の国々に分布する元興寺の食封の戸数を伝える。
このほか同年の「大安寺縁起幷流記資財帳」によると、武蔵国には大安寺の封戸も置かれていた。この後、武蔵国に封戸を有する寺院は増加し、大同三年(八〇八)ごろ朝廷が諸寺の封戸の数を記録した『新抄格勅符抄』には、西大寺二五〇戸、法花寺五〇戸、大安寺一〇〇戸、飛鳥寺四五〇戸、川原寺五〇戸、薬師寺一〇〇戸、山階寺一〇〇戸、東大寺四五〇戸の封戸があったと記されている。武蔵国所在の社寺では、氷川神社に封戸三戸が与えられていた。

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