北本市史 資料編 古代・中世
第2章 中世の北本地域
第3節 後北条氏の支配と北本周辺
永禄八年(一五六五)二月二十日太田氏資は、上足立郡三十三郷の伊勢熊野先達職衆分檀那職を、大行院に安堵する。
196 太田氏資書状写(折紙) 〔武州文書〕
上足立卅三郷之事、伊勢熊野先達職衆分檀那等之儀、不可有御別条之由、聖護院御奉書幷御奉行衆証文明白之上、於氏資も不可有相違候、恐々謹言
永禄八年(乙丑) 源五郎
二月廿日 氏資(花押)
大行院
〔読み下し〕
196 上足立卅三郷の事、伊勢熊野先達職衆分檀那等の儀、御別条あるべからざるの由、聖護院御奉書ならびに御奉行衆証文明白の上、氏資においても相違あるべからず候、恐々謹言
〔解 説〕
本史料は、太田氏資が大行院に上足立郡三十三郷の伊勢熊野先逹衆分檀那職を安堵したものである。ここで、「聖護院御奉書」とは、史料177のことで、これを受けて、資正も安堵している(史料178)。氏資は、ここで父の安堵を無視しているのに注意されるが、ともあれ旧前の権利を安堵することで、岩付領々主たることを示したのである。