北本市史 資料編 古代・中世

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 古代・中世

第2章 中世の北本地域

第3節 後北条氏の支配と北本周辺

永禄十年(一五六七)九月三十日
後北条氏は、泰翁宗安に、足立郡原宿代官職を、道祖土図書助に、比企郡三尾谷代官職を命ずる。

202 北条家印判状 〔平林寺文書〕
    原宿(1)
右、当郷代官職之事、如源五郎時、無相違被仰付、聊無々沙汰、速可走廻、若背掟妄之儀有之者、任法、代官を可被相改者也、仍後日状如件
(後筆力)    (禄寿応穏)

「永禄十年」
    丁卯
      九月晦日
        安首座

203 北条家印判状 〔道祖土文書〕
      三尾谷
      戸森(2)
右、当郷代官職之事、如源五郎時、無相違被仰付早、聊無々沙汰、速可走廻、若背掟、妄之儀有者之、任法、代官を可被相改者也、仍後日状如件
         (禄寿応穏)
    丁卯
      九月晦日
         道祖土図書助殿
〔読み下し〕
202 原宿
 右、当郷代官職の事、源五郎(太田氏資)の時の如く、相違なく仰せ付けられおわんぬ、いささかも無沙汰なく、速やかに走り廻るべし、もし掟に背き妄りの儀これあらば、法に任せ、代官を相改めらるべきものなり、よつて後日の状件の如し
203 略
〔注〕
(1)足立郡上尾郷に含まれ、上尾市原市辺に比定される。
(2)比企郡戸守郷のことで、川島町戸守辺に比定される。
〔解 説〕
ここに所載したニ点の史料は、同日付で後北条氏が泰翁宗安に足立郡原宿の、道祖土図書助に比企郡三尾谷・戸守郷の代官職を安堵したものである。前述の太田氏資戦死による岩付城主断絶の空白に対し、後北条氏がこの権限を直接掌握し、岩付領に支配権を行使したことを示すものである。ここでは、氏資の任免を受け継いで安堵しており、後北条氏は彼の領域支配を否定するのでなく、それを継承する形で直接支配に乘り出したことになる。これは、いまだ元城主太田資正が健在で岩付城復帰を策していたためである。しかし、違法行為があれば罷免すると述べ、代官任免権が後北条氏にあることを明示し、その支配権者たることを示している。なお、以上の郷に代官職が設定されていたことは、これらの地が岩付領(領主)直轄地であることを示している。こうして、市域を含む岩付領は後北条氏の直接統治下に入ったのである。

<< 前のページに戻る