北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第1節 鎌倉期の北本

暦仁元年(一二三八)二月十七日
藤原頼経の入京に栢間季直、多賀谷太郎兵衛尉、右衛門尉、足立遠親、安達義景らが供奉する。

98 吾妻鏡 暦仁元年二月十七日条
十七日癸巳、天顔快霽、巳剋、御出野路宿、先随兵以下供奉人、自庭上至路次、二行座列、寄御輿之後騎馬、隆親卿以下、於関寺辺見物云々、子剋御入洛、着于六波羅御所此間新造給、
 行列
先駿河前司随兵三騎相並、以家子三十六人為随兵
 (中略)
先陣
 駿河前司(騎馬、朗従二人在前)
御所随兵百九十二騎三騎相並、各弓袋差一人、歩走三人在前
 (中略)
廿一番栢間左近将監(1)多賀谷太郎兵衛尉松岡四郎
 (中略)
廿六番進(ママ)・三郎多賀谷右衛門尉江帯刀左衛門尉
 (中路)
四十二番壱岐小三郎左衛門尉足立木工助
   壱岐三郎左衛門尉
 (中略)
六十二番若狭守宇都宮修理亮秋田城介
 (後略)
〔読み下し〕
98十七日癸巳、天顔快霽、巳剋(みのこく)、野路宿を御出、まず随兵以下の供奉人、庭上より路次に至るまで、二行に座列す、御輿を寄せるの後騎馬す、隆親卿(四条)以下、関寺の辺において見物すと云々、子剋(ねのこく)、御入洛、六波羅御所(この間新造、)に着き給う
〔注〕
〔解 説〕
四代将軍藤原頼経は、本年正月、鎌倉を出立し上京の途についた。初代源頼朝の建久の上洛(史料67)に次ぐ、将軍の上洛である。本史料は、頼経が堂々の行列を組んで入京する記事であるが、幕府最盛期の威容を表わしている。午前ー〇時頃、近江国野路宿(滋賀県草津市)を立ち、午後十二時頃、入京し六波羅館に到着した。行列は、頼朝の先例に習っていたが、公家出身ということもあり、若干の相違もあった。先陣は随兵三六騎を先頭にし、相模国守護の三浦義村。将軍随兵が六四番百九十二騎。次いで與に乗る将軍自身。水干衆が六番一六騎で、この最後に執権北条泰時が随員三十人を従える。後陣が連署北条時房で、行列を締め括る。やはり序列を表現している。この将軍随兵の二一番に栢間季直・多賀谷太郎兵衛尉、二六番に多賀谷右衛門尉、四二番に足立遠親、六二番に安達義景(景盛嫡子)が入っており、安達氏の序列の高さが理解される。頼経は十月まで在京し、京の内外上下に大いに幕府の威儀を示した。なお、将軍上洛はこの時を最後とする。

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