北本市史 資料編 近世

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第1章 領主と村

第1節 村の政治

5 関東取締出役の支配と組合村

25 嘉永五年(一八五二)正月 小組惣代人選につき組合村々一同申合の事
  (鴻巣市 松村茂家文書)

資料25 組合村々一同申合の事(鴻巣市 松村茂家文書)


     組合村々一同申合の事
此度御改革小組惣代の儀、中曽根村名主吟重郎寄場宿役人中より取持為相勤度旨専風聞在之候ニ付一同相談仕候処、同人儀ハ物再組合村々は相洩他組同意いたし候、其外腰押等ヲ相好難渋いたし候は多分相見右様の者惣代相頼候儀一同不帰依ニ付、其旨寄場役人中一同申出候処問違無御座候、就てハ此上御掛り様より何様被仰渡候共同人差略難請候間、一同二て申披き仕候筈対談仕候筈為念依て如件
             生出塚村上下
嘉永五子年        上谷村上下
    正月       深井村上下
             東間村
        東間村 名主 七左衛門
        深井村 組頭 新右衛門

解説 鴻巣市藤井家所蔵の『天保十一年武蔵国足立郡鴻巣宿寄場組合高村名大小惣代名前書上帳』(資料20)によると、中曽根・上谷・生出塚・東間・深井の五か村で小組合をつくり、天保年間には深井村の七郎右衛門が小組惣代をしていた。
この七郎右衛門がその後、大小の惣代をかねるようになり、兼帯は不可ということで、鴻巣宿寄場の役人が中曽根村の名主吟重郎を小組惣代に指名する風聞がたった。これを耳にした四か村の名主が、この案は承服できないと異議を申し立てたものである

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