北本市史 資料編 近世
第1章 領主と村
第1節 村の政治
1 領主と地頭
1 天正十八年(1590)九月 牧野康成宛伊奈忠治知行書立(京都府舞鶴市立西図書館所蔵)
御知行書立
一、あせおし 一、領家 一、こしきや
此内に小林村
一、ふちなみ 一、ひてや 一、河田や
こひつミ
一、石戸八満(幡力)原 一、まむろ
そうしき さか下
合五千石 ハケ村
右の分百姓能々御せんさくニて御所務可有之候、来年御縄打の上不足ニて候ハゝ足可申候、あまり候ハゝ御返し可被成者也、仍て如件
天正十八庚寅年九月七日 伊奈態蔵(印判 居判)
牧野半右衛門(康成)殿
解説 天正十八年(一五九〇)八月、徳川家康は関東に入国するや譜代のおもだった家臣に知行割して釆地を与えた。万石以上(最高一二万石)は四〇氏、万石以下三〇〇〇石以上では三〇氏に及んだ。
牧野康成(やすしげ)はその一人で石戸領五〇〇〇石の知行地をたまわった。この資料はそれを証するもので、現鴻巣・北本・桶川・上尾の四市にまたがる地域である。「御せんさくにて御所務可有之」と土地と百姓の支配権を与えられ、来年の検地で不足するなら追加するし、多ければ返すようにともいっている。この資料は家康の命をうけて関東郡代の伊奈忠次が発したものである。