北本市史 資料編 近世

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第3章 街道と河岸

第2節 河岸

2 高尾河岸

202 宝永三年(一七〇六)四月 横見郡大串村御年貢米津出しの事
  (吉見町 田中甫家文書)
御年貢米津出シの事
 是ハ高尾川岸江壱里程居村より□□リ申候運賃の義ハ、舟路三十二三里程の所水御座候時ハ金唐分ニ付十七八表(俵)、渇水の節ハ金皂分ニ付拾表或八拾弐三表の運賃百姓出し申候、御公儀より被下候御運賃の義百表□ニ付三分壱厘宛被下候
解説 この資料は、宝永三年(一七〇六)横見郡大串村の村明細帳にある、幕領の年貢米津出しに関する名主弥太夫の覚書きである。
これによれば、大串村の年貢米がこの頃市域の高尾河岸より津出しされていたことがわかる。
なお、高尾河岸より江戸までの運賃は、舟路で三二、三厘程であり、平時には、金一分で一七、八俵まで運び、渇水時には、― 〇俵から―二、三俵の間であった。
また、運賃負担は百姓側にあったが、公儀より―〇〇俵につき三分 ―厘の補助があったことがわかる。

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