北本市史 資料編 近世
第4章 寺院と文化
第2節 文化
2 地誌と随筆
218 甲子夜話(神奈川県藤沢市 松浦章氏所蔵)
桜は年久しく保がたきものなれども、又数百年を経る木もたまさかは有なり。今中奥御番を勤る牧野左近の采邑の古桜は、武州の内には比倫なき古木なるべし。其村より出せる書つけとて見る。其文に石部(戸)領蒲桜之由来。(正治二庚申年ヨリ寛政十二庚申年迄)六百十年程、抑武州足立郡石部(戸)郷御堀之内西亀山無量院東向寺は、行基菩薩の御作阿弥陀如夹安置の霊場にして、人皇八十三代土御門院の御宇、源朝臣三河守範頼公配所の旧跡なり。中略其後鎌倉より厳命にて、正治二庚申二月五日御年四十七にして御生害有けるこそ哀れなり。御墓を阿弥陀堂の傍につき御廟(おたまや)に桜を植させ、末代の印と定。下略
一、桜根本の廻り二丈但山桜なり
一、四尺程あがり四本にわかれ
一、高さ三丈六七尺
一、枝先き広がり十五六間四方
一、石碑都合十ーあり
但文字何れも分りかぬる。石摺にするにも文宇しかと分らざる故摺立宜しからず。
此古碑ども元は桜を離れて立たりしものなるべけれども、木の成長に随ひ、今は木皮の肉にて包み彫込し如くなりと云。
(資料提供 平凡社)
解説 著者松浦静山は江戸時代後期の平戸藩主で、大名中の博識家であった。林述斉とも親交があった。政治・外交・軍事・学芸・逸話・民俗など万般にわたる著者見解の書留めや読書の抄録から成る随筆がこの『甲子(かつし)夜話』である。正・続・後編合わせて二八〇巻から成る。