北本市史 資料編 近世

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第4章 寺院と文化

第2節 文化

江戸時代、民衆の間に文化が広まったが、埼玉県域ではようやく十八世紀の後半、それも多くは富農富商層に限られていた。かれらは当初子弟を江戸に遊学させていたが、やがて江戸の文化人を招き積極的に指導を受ける機会を設けるようにもなってきた。文化・文政期(一八〇四~三〇)以降、文化はさらに一般民衆の間にも進展するが、市域においては特筆すべき動きは見られない。
東光寺の蒲桜、これにまつわる源範頼を取りあげた随筆が三、四編あるが、江戸の僧津田大浄の『遊歴雑記』(資料216)には密度の濃い考証が加えられている。
広く農民の子弟の文化向上の求めを示す動きに寺子屋教育がある。市域では資料(資料211)でみる限り十八世紀に入ってからである。算学が学ばれたのは幕末もおしつまったころからと思われるが不詳である。また、市域には江戸後期に建立された芭蕉句碑(資料219・220)が二基ある。

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