北本市史 資料編 近代

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第1章 政治・行政

第2節 石戸村と中丸村の成立

2 政党と選挙
明治二十二年四月、町村制が施行され、翌年の第一回衆議院議員選挙に向けて、各地に政治結社が結成された。資料48は、北足立・新座同志会会則である。この結社は、改進党系で、市域の会員は、石戸村六名、中丸村五名、計十一名であった。明治十五年大隈重信の結成した立憲改進党は、同年、滝馬室村の加藤政之助により県支部が結成されたといわれ、党員は、北足立、南埼玉、比企、横見、入間(川越)の諸郡に多く、県会では、十五年より第一党となり、加藤は二十三年県会議員を辞職するまで、六期連続議長をつとめた。市域は加藤の所属した三田派の演説活動の影響を強く受けた。
明治二十三年、府県制・郡制が公布され、埼玉県では郡制が同二十九年、府県制が同三十年から施行された。同三十年の第一回県会議員選挙は間接選挙で行われた。同三十二年の府県制の改正により、直接選挙となり、半数改選が廃止された。明治四十年、石戸村吉田時三郎は進歩党(旧改進党系)埼玉支部常議員となり(資料49)、足立同志会の推薦をうけて立候補し(資料50)、北足立郡中最高得票で当選した。市域出身者として最初の県会議員であった。資料52は、町村制改正後の新制度下の村会議員選挙の様子を示している。

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