北本市史 資料編 現代

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 現代

第1章 政治・行政

第3節 北本市の発足

地方自治法は「市となるべき要件」を規定している。その中の一つ「人口五万以上」の要件については、再三特例が設けられ引き下げられた。市町村合併を一層進めるためであったが、大都市周辺地域では合併をしなくとも、単独市制の施行が可能であった。昭和四十五年(一九七〇)、三回目の特例として(昭和四十五年から四十七年まで)、人口要件が三万に引き下げられ、これが単独、北本市制施行の引金となった。
昭和四十六年六月準備会が発足し、市制へ向けてスター卜した。ところが新市名をめぐって対立し、住民にとっても、これが準備段階における最大の問題となった。ことの起りは、解脱会が「げだつ市」を提唱したことからで(資料47)、これに反対する運動が勝栄会からまず起こり、次いで新市名を北本市とする会が結成され、「北本市」の実現を目ざした(資料48)。げだつ市に反対する住民は多く、新市名を北本市とする会の署名運動へ協力するよう呼びかけるもの、あるいは独自に北本市実現を訴えるチラシを配付するものが現われた(資料49)。しかし他方に解脱会を支持し、反対署名自粛をよびかけるものもいて、事態は混乱し紛糾した。約一カ月の紛糾であったが、この収拾に関して住民の意志を無視することはできなかった。署名を通してげだつ市反対を表明した者七、五〇〇名、町当局は解脱会に運動中止を要請し、議会は新市名を「北本市」と決定して問題は解決した(資料51・52)。
以後の市制への歩みは順調であった。市名問題が解決して三カ月後、昭和四十六年十一月三日北本市が誕生した。

<< 前のページに戻る